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やノートページでの議論にご協力ください。リアエンジンとは、自動車・航空機において、貨客スペースより後方にエンジンを搭載する方式。自動車ではエンジンの重心が後車軸中心より後ろ(リアオーバーハング)にあるものを指す。20世紀後半以降、マイクロバスを除くバス車両の駆動方式の主流として定着している。
自動車でも分野によっては、ミッドシップ配置も広義でリアエンジンに含めていることもあるが(フォーミュラカーなど)、この記事では基本的にミッドシップに相当するものは含めないものとする。
乗用車のリアエンジンリアエンジンのフィアット500
自動車においては、黎明期から19世紀中の原始的な自動車では前輪を操舵輪とし、後輪を駆動輪とする役割分担における自然な配置として、リアエンジンはしばしば見られるものであった。しかし、回転軸を90度曲げることのできる傘歯車、駆動トルクに耐えうるプロペラシャフトジョイントなどが揃うと、排気量の拡大による性能向上を目指して大きく重くなる一方のエンジンを前に置き、そこから後輪を駆動する配置(いわゆるFR)が、エンジンの搭載性、前後軸重の均衡化、操縦安定性など、有利な点が多かったことから多用されるようになり、リアエンジンは一旦廃れた。
リアエンジンの再興は1930年代以降である。ドライブトレインを後部に集中させて最小限にまとめることができ、軽量化と室内容積の拡大を図れるパッケージングとして、主に小型乗用車(大衆車)から採用が始まり、日本では1950年代後半から軽自動車にも多用された。また、スポーツカーの一部にも採用例がある。一方、大型乗用車や高級車向けのレイアウトとしてはほとんど普及しなかった。
乗用車用としては、操縦安定性やラゲッジスペース確保などの面で課題も多く、1960年代以降、小型車ではフロントエンジン・前輪駆動(いわゆるFF)の配置に取って代わられた。21世紀初頭時点では、一部のスポーツカーや特殊な商用車に主として用いられるのみである。
後輪駆動の自動車では、エンジンの自重を駆動輪に掛けることができるためトラクション(駆動力)の点では有利であるが、重心やヨーイング軸から離れたリアオーバーハングに重量物のエンジンが配置されることは、運動性でミッドシップエンジン車やフロントエンジン車に、安定性ではフロントエンジン車に劣ること、また、排気管長やマフラー容量が十分に取れないため、出力の面でも不利となることなど、大きなデメリットがある。特に運動性では、サスペンションジオメトリやばね定数など、他の多くの要素との組み合わせにもよるが、横転を起こす危険がある車があった。
なお、前輪駆動のリアエンジン車は、構造上全くメリットが存在しないため、フォークリフトや一部の履帯車両などを除き、世界的に見ても採用例がない。
歴史
黎明期のリアエンジン車ベンツ・ヴェロ(1894年)。エンジンほか駆動系は座席下の後輪周囲に集まっており、着座位置が高い
ガソリン自動車が発明された初期には、動力伝達のための技術が未熟で、駆動輪である後輪至近にエンジンを搭載する必要から、リアエンジン方式にあたるレイアウトを採った自動車がほとんどであった。最初のガソリン車とされる1888年のダイムラー車、ベンツ車はいずれもチェーン伝動のリアエンジンであり、その後1900年頃までリアエンジンは自動車の主流であった。
ドイツで「ベテラン期」と時代分類されるこの頃のクラシックカーでは多くの場合、乗客たちは後車軸上に搭載されたエンジンの更に上に座席を設けて搭乗していたようなもので、当時の自動車の後輪の多くが大径車輪であった影響もあって、重心は高くなった。
これを克服するため、1891年にフランスのパナール・ルヴァッソールが車体前方にエンジンを搭載して後輪を駆動する「パナール・システム」と呼ばれるフロントエンジン・リアドライブ方式(FRと略される)を考案して低重心化と操縦安定性の向上を実現し、更に同じフランスのルノーが1898年にプロペラシャフトを介して効率よく後輪を駆動する「ダイレクト・ドライブ」を開発したことでFR方式の優位性が確立される。
この結果、市場の大勢は1900年代中期までにより高性能なFRへと移行し、重心が高く不安定なリアエンジン方式は一時忘れられた技術となった。
リアエンジン車への再認識.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ツェンダップのための試作車
ポルシェ・タイプ12タトラ・T77のドライブトレインメルセデス・ベンツ 170Hフォルクスワーゲン・ビートルフォルクスワーゲン・タイプ1のシャーシとボディー
FR方式は構造や操縦安定性の面で無理のないシステムではあったが、1910年代以降の自動車の発達過程で、プロペラシャフトの重量や低床化の妨げとなるフロアトンネルのスペース、振動とそれによる騒音は顕著な問題として表面化してきた。また自動車の大衆化に伴う小型・軽量化と低コスト化の必要性から、効率の良いパッケージングの追求が模索され、ここから第一次世界大戦後、プロペラシャフトを廃した自動車を開発する機運が生まれる。