ラーンタール
[Wikipedia|▼Menu]

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ギーセン行政管区
郡:マールブルク=ビーデンコプフ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯50度51分52秒 東経08度41分36秒 / 北緯50.86444度 東経8.69333度 / 50.86444; 8.69333座標: 北緯50度51分52秒 東経08度41分36秒 / 北緯50.86444度 東経8.69333度 / 50.86444; 8.69333
標高:海抜 217 m
面積:40.5 km2
人口:

7,042人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:174 人/km2
郵便番号:35094
市外局番:06420, 06423
ナンバープレート:MR, BID
自治体コード:

06 5 34 012
行政庁舎の住所:Oberdorfer Strase 1
35094 Lahntal
ウェブサイト: ⇒www.lahntal.de
首長:マンフレート・アペル (Manfred Apell)
郡内の位置

地図

ラーンタール (ドイツ語: Lahntal) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州中部マールブルク=ビーデンコプフ郡の町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。ミッテルヘッセン北西部にあたる。
地理
位置

ラーンタールはラーン川上流、フランクフルト・アム・マインの北 83 km、マールブルクの北西約 7 km に位置する。

町の西側に高さ 498 m のリムベルクがそびえる。
自然環境

西から東に流れ下るラーン川沿いのブルンガースハウゼン地区、ケルンバッハ地区、カルデルン地区はオベーレス・ラーンタール地域に属す。これに対して、シュテルツハウゼン地区、ゴスフェルデン地区、ザルナウ地区、ゲッティンゲン地区はヴェトシャフト盆地に属す。オベーレス・ラーンタール地域は、ロタール山地の支脈へ連なるグラーデンバッハ・ベルクラントの北の継ぎ目にあたる。
気候

ラーンタールは、中緯度地方の温暖で雨の少ない気候に属す。夏の日中平均気温は、オベーレス・ラーンタールで 15 - 16 ℃、ヴェトシャフト盆地で 16 - 17 ℃である。冬はそれぞれ、-1 ℃と 1 ℃である。平均降水量はオベーレス・ラーンタール地域で約 800 - 1000 mm、ヴェトシャフト盆地で 700 - 800 mm である[2]
水域

ラーンタール最大の水域は、ラーン川である。この川は町域内北部を西(ダウトフェタール)から東(ケルベ)へ流れ、一部は南東に流れる。ヴェトシャフト川は北(ヴェッター)から流れ込む。ヴェトシャフト川はゲッティンゲンの南東、海抜 192 m の地点でラーン川に左岸から合流する。ラーンタール町内の他の小川は、地理的条件から流路が大変短く、直接・間接にラーン川に流れ込む。たとえばザルナウ川はザルナウ地区付近でラーン川に合流する。
隣接する市町村

ラーンタールは、北と東はヴェッター、南東はケルベ、南はマールブルク、西はダウトフェタール(以上、いずれもマールブルク=ビーデンコプフ郡)と境を接する。
自治体の構成

ブルンガースハウゼン

カルデルン

ゲッティンゲン

ゴスフェルデン

ケルンバッハ

ザルナウ

シュテルツハウゼン

歴史ラーンタール=カルデルン遠望

この町は、1972年から1977年までのヘッセン州の地域再編の時代に、新しい名称ラーンタールの下に成立した。各地区は、それぞれ独立した歴史的なルーツを有している[3]

ブルンガースハウゼン地区の近くで1992年に10世紀から13世紀の城趾、ブルガースハウゼン城趾が発見された。この城が貴族家「ド・ブルンゴーデスフーゼン家」と関係があるかどうかは、証拠がないために、現在では明らかでない。

カルデルンの教会は、現在は遺跡だけが遺るシトー会女子修道院の中心であった。この修道院は方伯の裁判所として800年頃に記録されている。

ゲッティンゲン地区は1306年に初めて記録されており、その位置から重要な交通の分岐点となった。三十年戦争以降、フランクフルトからブレーメンに至る通商路がゲッティンゲンやケルベを通っており、ゲッティンゲンからエルベンハルトに至る旧ニーダーライン街道がビュルゲルンのショセーハウス(街道の家)の前を通っていた。

850年頃にはすでにフルダ修道院への寄贈書に初めて記録されたゴスフェルデンは、何世紀もの間マールブルクドイツ騎士団に属していた。19世紀の初めには、カルデルン、ゴスフェルデン、シュテルツハウゼン、ヴェッターのユダヤ人が属すシナゴーグ組織が設けられた[4]

ヘッセン州立文書館マールブルクの記録によれば、ケルンバッハ地区は1130年頃に「Cagernbach」として記録されている。その後の1254年のカルデルン修道院の文書には「Kerenbach」と書かれている。

ザルナウ地区 (Sarnau) の名前はケルト語およびスラヴ語起源である。Sarnowa は、ノロジカの草地を意味する。陶器の出土品はそれに適合した古い入植と結びつくものである。ザルナウは1200年頃に初めて文献に登場する。1322年には騎士のゴットシャルク・フォン・ザルノーヴェがザルナウに騎士領を経営していた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:24 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef