ラージャ・オデヤ1世
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ラージャ・オデヤ1世(Raja Wodeyar I, 1552年6月2日 - 1617年6月20日)は、南インドカルナータカ地方マイソール王国の君主(在位:1578年 - 1617年)。
生涯

1578年12月26日、父チャーマ・ラージャ4世の後を継いでいたチャーマ・ラージャ5世を打倒し、ラージャ・オデヤ1世が王位を継承した[1]

ラージャ・オデヤ1世は主家であるヴィジャヤナガル王国に臣従していたが、王国はビジャープル王国ゴールコンダ王国の絶え間ない侵略にあって、17世紀初頭にはさらに衰退していた。

1610年2月8日、ラージャ・オデヤ1世はシュリーランガパトナをヴィジャヤナガル王国の長官から奪取したのち、マイソールからシュリーランガパトナへと遷都し、王国に対して独立を宣言した[1]

1614年から1615年にかけては、二度にわたる遠征を行い、ウンマットゥール、ラームシュードラ、フッラハッリ、タラカードなどの各地の領主を服属させた。

1617年6月20日、ラージャ・オデヤ1世は死亡し、孫のチャーマ・ラージャ6世が王位を継承した[1]
出典・脚注^ a b cMysore 2

関連項目

マイソール王国

オデヤ朝










マイソール王
オデヤ朝
(マイソール王)

ヤドゥ・ラーヤ1399-1423

チャーマ・ラージャ1世1423-1459

ティンマ・ラージャ1世1459-1478

チャーマ・ラージャ2世1478-1513

チャーマ・ラージャ3世1513-1553

ティンマ・ラージャ2世1553-1572

チャーマ・ラージャ4世1572-1576

チャーマ・ラージャ5世1576-1578

ラージャ・オデヤ1世1578-1617

チャーマ・ラージャ6世1617-1637

ラージャ・オデヤ2世1637-1638

ナラサー・ラージャ1世1638-1659

ドッダ・デーヴァ・ラージャ1659-1673

チッカ・デーヴァ・ラージャ1673-1704

ナラサー・ラージャ2世1704-1714

クリシュナ・ラージャ1世1714-1732

チャーマ・ラージャ7世1732-1734

クリシュナ・ラージャ2世1734-1766

ナンジャ・ラージャ1766-1770

チャーマ・ラージャ8世1770-1776

チャーマ・ラージャ9世1776-1796

マイソール・スルターン朝
(マイソール王)

ハイダル・アリー1761-1782

ティプー・スルターン1782-1799

オデヤ朝
(マイソール藩王)

クリシュナ・ラージャ3世1799-1868

チャーマ・ラージャ10世1868-1894

クリシュナ・ラージャ4世1894-1940

チャーマ・ラージャ11世1940-1947

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