ラージェーンドラ・プラサード
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ラージェーンドラ・プラサード????????? ??????
Rajendra Prasad

生年月日1884年12月3日
出生地 イギリス領インド帝国
ベンガル管区(英語版) ジーラデーイー(ヒンディー語版)
没年月日 (1963-02-28) 1963年2月28日(78歳没)
死没地 インド ビハール州パトナ
出身校コルカタ大学
所属政党インド国民会議
初代大統領
在任期間1950年1月26日 - 1962年5月13日
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ラージェーンドラ・プラサード(ヒンディー語: ????????? ??????, 英語: Rajendra Prasad、1884年12月3日 - 1963年2月28日)はインドの初代大統領。通称、プラサド博士。
来歴

カルカッタのプレジデンシー大学で卒業後弁護士となるも、1916年に大学を退職してガンディーの不服従運動に参加。4度も投獄された経験を持っている。戦後は全印国民会議(憲法制定議会)のメンバーに選出される。

1932年1月4日、ガンディーと共に拘束されたヴァッラブバーイー・パテールの後任として全印国民会議派長に任命される。その後1934年1939年1947年の3度選出される。独立前の1946年には食料農業相。

1950年1月26日インド共和国は新憲法を発布し完全独立を宣言。これに先立ち憲法制定議会は23日に共和国初代大統領選挙を行いインド国民会議のプラサド博士を満場一致で選出した。ただし今回の選挙は臨時的なものであり、総選挙後に再び選挙を行うこととされた。また憲法制定議会は大統領選出と同時に正式な立法議会に切り替えられた。

1957年5月10日、N.N.ダース、チョードリー・ハリ・ラームを退け再選を果たした。

1958年9月28日には来日し昭和天皇岸信介首相と会談している。京都市内も観光し大谷大学から名誉博士の称号を与えられた。

1962年4月、体調不良のため辞任。1963年2月28日ビハール州パトナの自宅で死去。
人物

穏便左派の立場で、党の長老として左右両派の調整役に奮起してきた。

ジャワハルラール・ネルー首相の影に隠れていたが非常に穏やかで人間味の溢れる人物だった。

菜食主義者
関連項目

インドの大統領


公職
先代
チャクラヴァルティー・ラージャゴーパーラーチャーリー
インド連邦総督 インド共和国大統領
初代:1950 - 1962次代
サルヴパッリー・ラーダークリシュナン










インド共和国大統領
大統領

ラージェーンドラ・プラサード 1950-1962

サルヴパッリー・ラーダークリシュナン 1962-1967

ザーキル・フセイン 1967-1969

(欠員) 1969

ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリ 1969-1974

ファフルッディーン・アリー・アフマド 1974-1977

(欠員) 1977

ニーラム・サンジーヴァ・レッディ 1977-1982

ギャーニー・ジャイル・シン 1982-1987

ラーマスワーミ・ヴェンカタラマン 1987-1992

シャンカルダヤール・シャルマー 1992-1997

コチェリル・ラーマン・ナラヤナン 1997-2002

アブドゥル・カラーム 2002-2007

プラティバ・パティル 2007-2012

プラナブ・ムカルジー 2012-2017

ラーム・ナート・コーヴィンド 2017-2022

ドラウパディ・ムルム 2022-

大統領代行

ヴァラーハギリ・ヴェンカタ・ギリ 1969

ムハンマド・ヒダーヤトゥッラー(英語版) 1969

バサッパ・ダーナッパ・ジャッティ(英語版) 1977

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