ラ・リューヌ峰
雪に覆われたラ・リューヌ峰
標高905 m
所在地 フランス・アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県
スペイン・ナバーラ州
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度18分33秒 西経01度38分08秒 / 北緯43.30917度 西経1.63556度 / 43.30917; -1.63556座標: 北緯43度18分33秒 西経01度38分08秒 / 北緯43.30917度 西経1.63556度 / 43.30917; -1.63556
山系ピレネー山脈
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OpenStreetMap
プロジェクト 山
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ラ・リューヌ峰またはラ・ルーヌ峰(フランス語: La Rhune)は、ピレネー山脈最西端に存在する山である。スペイン語またはバスク語ではラルン峰またはラルン山(スペイン語: Larrun, バスク語: Larhun)。かつてはフランス語でLarrunやLarhuneとも表記した。 山頂の標高は905メートル、プロミネンス(山麓からの比高)は670メートル。山頂はフランス・アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県とスペイン・ナバーラ州にまたがっており、バスク地方のラブールとナバーラの境界でもある。北側斜面(フランス領)に降った雨はやがてニヴェル川となってサン=ジャン=ド=リュズでビスケー湾に注ぐ。南側斜面(スペイン領)に降った雨はやがてビダソア川となってチングディ湾都市圏(アンダイエ=イルン=オンダリビア)でビスケー湾に注ぐ。 一般的にはラ・リューヌ峰がピレネー山脈の最西端にある山だとされ、この山より西側には大西洋に至るまで著名なピークは存在しない。しかし、チングディ湾都市圏を隔ててさらに西側にあるハイスキベル(547m)がピレネー山脈の最西端であるとされることもある。このような位置にあることから山頂からの視界は開けており、ビスケー湾、サン・セバスティアン都市圏(スペイン)やビアリッツ都市圏(フランス)の町並み、ピレネー山脈西部の稜線を見渡すことができる[1]。フランス側の山麓にはフランスの最も美しい村に登録されているサール 19世紀初頭のスペイン独立戦争末期にはこの山が防御地点としてフランス軍に使用された。1813年11月10日のニヴェルの戦いでは、イギリス=スペイン同盟軍のウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの軍隊が、フランス軍のニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト大元帥の軍隊に勝利した。 初めて登頂した著名人は、1859年に登頂したウジェニー・ド・モンティジョ(ナポレオン3世妃)である[1]。この頃は登山鉄道の建設前であるため、ウジェニーはラバの背中に乗って登頂したとされており、山頂のオベリスクに彼女の名が刻まれている[1]。 フランス=スペイン国境に近いことから、ラ・リューヌ峰の山麓は何世紀にもわたって重要な密輸ルートとして使用された。1930年代後半のスペイン内戦や1940年代の第二次世界大戦の際には亡命者がこの山を越えた。 ラ・リューヌ峰にはドルメンやストーンサークル、他の新石器時代の遺物があり、バスク人の文化において象徴的な地位を占めている。
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