ラ・マンチャ
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この項目では、スペインの歴史的地方について説明しています。ワインの原産地呼称については「ラ・マンチャ (DO)」を、その他の用法については「ラ・マンチャ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
現在のカスティーリャ・ラ・マンチャ州(濃い灰色)とラ・マンチャ地方(赤)の位置

ラ・マンチャ地方(La Mancha)はスペインの中部に位置する歴史的地方の一つで、現在のカスティーリャ=ラ・マンチャ自治州のうち、アルバセテ県シウダー・レアル県クエンカ県及びトレド県の領域のかなりの部分に相当する。

面積は30,000km2以上[1][2][3]で、東西におよそ300km、南北およそ180kmで、イベリア半島の台地にある自然発生的に形成された地方で最も大きい広がりを持ち、中央台地(メセタ)のうちの南東部分、南メセタに位置する。

スペインを代表する作家ミゲル・デ・セルバンテスの代表作『才知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の主人公ドン・キホーテが行う、数々の冒険の舞台となった地方ということで世界的に知られている。
地勢および境界.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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歴史
先史時代および古代ビチャ・デ・バラソーテ(Bicha de Balazote)、ラ・マンチャで発見されたイベリア人の美術

ラ・マンチャ地方の先史時代の遺構は少なくはないが、その研究は十分なものとはいえないのが現状である。数多くの旧石器時代の遺跡が、とくに川の近くに確認されており、これは季節的な野営地と考えられている[4]グアディアナ川とその支流がこの地域にこのタイプの遺跡を多く形成させた。たとえばコルコレス川(スペイン語版)やソトゥエラモス川、カニャーダ・デ・バルデロボス川流域のアルト・グアディアナ地域(アルバセテ県)では中期旧石器時代の多くの遺跡が集中的に発見されている[5]。また、シウダー・レアル県内のグアディアナ川流域でも同様に多くの遺跡が残されている。この時代の美術については、イベリア半島の地中海沿岸地域で見られるような岩絵にも似た洞窟壁画フエンカリエンテで発見されている。

新石器時代青銅器時代の間、南部および中部地域(シウダー・レアル東部からアルバセテ西部にかけて)ラス・モティージャス文化(Cultura de las Motillas)と呼ばれる文化が栄えた。この文化の担い手は防御のために、人口の丘を作り、周囲に同心円状の何重ものの城壁をめぐらした住居を建てて定住した。後にこの地はインド・ヨーロッパ系の部族による度重なる侵入を受け、また、イベリア人の文化の影響も受けた。とくにアルバセテ県とシウダー・レアル県の領域にはセロ・デ・ロス・サントス(スペイン語版)や、ジャノ・デ・ラ・コンソラション(スペイン語版)、ポソ・モーロ(スペイン語版)、エル・アマレッホ、アラルコス(スペイン語版)などの重要な遺跡が発見されている。
中世

紀元5世紀にローマ帝国が崩壊し、この地でのローマ人支配が終焉すると、ヴァンダル族アラン族が相次いで侵入、その後西ゴート族が侵入、569年トレドを首都に西ゴート王国を打ち立てた。しかし、この時期にはラ・マンチャ地方の多くの地域は荒れ果て、無人地帯が広がっていた。

711年ジブラルタル海峡を渡ってアラブ人が侵入、短期間のうちに北部を除くイベリア半島の大部分を制圧、イスラム教の支配がはじまった。このイスラム教徒支配地域は後にアル=アンダルスと呼ばれるようになる。多くの専門家たちによると、地名のマンチャの語源はアラビア語の「水のない土地」を意味するManxa あるいはAl-Mansha 、または「高い平原」、「高い場所」を意味するManya に由来するとしており、現在これらがマンチャという地名の起源として最も受け入れられている[6]。イスラム教徒支配下のラ・マンチャは、基本的に人口密度は低い状態が続いたものの、繊維産業の重要な中心地となったトレド、クエンカ、アルカラス(スペイン語版)などの都市が出現し、発展した。アラブ人たちはその進んだ灌漑技術によってこの地方の農業を大いに発展させ、またヒツジ(メリノ種)を導入することにより牧畜業にも寄与した。


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