ラヴ・ネヴァー・ダイズ_(ミュージカル)
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Love Never Dies
作曲
アンドリュー・ロイド・ウェバー
作詞グレン・スレーター
チャールズ・ハート(補作)
脚本アンドリュー・ロイド=ウェバー
ベン・エルトン
グレン・スレーター(補作)
フレデリック・フォーサイス(補作)
原作フレデリック・フォーサイス作『マンハッタンの怪人』(原案)、
ベン・エルトン(翻案)
上演2010 ウエストエンド
2011 メルボルン
2012 シドニー
2012-2013 コペンハーゲン
2013 ウィーン
2014 東京
2015 ハンブルク
2017 USツアー
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『ラヴ・ネヴァー・ダイズ』(Love Never Dies)は、イギリスの作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーが、自身の代表作であるミュージカル『オペラ座の怪人』の続編として製作したミュージカルである[1]。原作とされるフレデリック・フォーサイス作の小説『マンハッタンの怪人』は、本作の製作のためにロイド・ウェバーがフォーサイスに執筆を依頼したものである。日本ではタイトルを『ラブ・ネバー・ダイ』とつけられた。グレン・スレイターが作詞、チャールズ・ハートがその補作を行ない、ロイド・ウェバーとベン・エルトンが脚本を執筆し、スレイターとフレデリック・フォーサイスがその補作を行なった。ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』の展開には沿っていない。ロイド・ウェバーは「私はこれを続編とは考えていない。単独の作品である」と語った[2]。彼はのちに「確かに続編ではあるが、『ラヴ・ネヴァー・ダイズ』を理解するのに『オペラ座の怪人』を観ておかなければならないわけではない」と語った[3]。『オペラ座の怪人』の舞台は1881年であるが[4]、この作品はロイド・ウェバー曰く「オリジナルのファントムの最期から約10年後」の[5]1907年を舞台にしている[6]。クリスティーヌ・ダーエは匿名の演出家からコニーアイランドの新たなアトラクションであるファンタズマでの演奏に招聘され、夫のラウルと息子のグスタフと共にブルックリン区にやってくる。この人気ビーチ・リゾートへのクリスティーヌの登場を画策したのは実はファントムであることは彼らはまだ知らない。

1990年にロイド・ウェバーは作品製作に取りかかったが、2007年まで作曲を始めなかった。ジャック・オブライアンが演出、ジェリー・ミッチェルが振付を担当し、2010年2月22日、ウエスト・エンドのアデルフィ・シアターでプレビュー公演が開幕し、3月9日、正式に開幕した。2010年11月に閉幕し、ロイド・ウェバーの監修により書き直され、ビル・ニューライトが新たに演出を担当した。舞台装置および衣裳デザインはボブ・クロウリーが担当した[7]。オリジナル・ロンドン公演の評価は低かったが[8][9]、その後新たなデザイン・チームと大幅な改訂を加えたオーストラリア公演は評価がより高くなった。ウエスト・エンド公演と同時にブロードウェイ公演が計画されたが無期限延期となった[10]
背景『ラヴ・ネヴァー・ダイズ』を理解するのに『オペラ座の怪人』を観なければならないとは全く思わない。だがどちらも観ることができるなら、どちらも交互に観れば、それらを、そのどちらからもストーリーをより理解することができるだろう。“”アンドルー・ロイド・ウェバー[11]

アンドルー・ロイド・ウェバーは1986年のヒット・ミュージカル『オペラ座の怪人』の続編の計画を1990年に開始した[12]。『オペラ座の怪人』のデザイナーのマリア・ビョルンソンと会話し、ロイド・ウェバーは20世紀のニューヨークを舞台にした続編製作を決意した。彼のアイデアの1つはファントムがマンハッタン初のペントハウスアパートメントに住むことであったが、コニーアイランドのフェアグラウンドについてのテレビ・ドキュメンタリーを見てからこれをやめた[12]。ロイド・ウェバーは作家のフレデリック・フォーサイスとコラボレートしたが、ロイド・ウェバーは舞台化の難しさを感じたためすぐに物別れとなった。1999年、フォーサイスはロイド・ウェバーと捻出したアイデアのいくつかを基に小説『マンハッタンの怪人(英語版)』を出版した[13]

2006年、ロイド・ウェバーはこのプロジェクトを再開し、多くの作家や演出家と共にコラボレートした。しかし彼はまだ舞台化が可能とは思えなかった[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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