ラヴェンナ
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ラヴェンナ
Ravenna
ポポロ広場 (Piazza del Popolo) 西側


旗紋章

行政
イタリア
エミリア=ロマーニャ
県/大都市 ラヴェンナ
CAP(郵便番号)48100
市外局番0544
ISTATコード039014
識別コードH199
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイトリンク
人口
人口156050 人 (2023-01-01 [1])
人口密度239 人/km2
文化
住民の呼称ravennati
守護聖人聖アポリナーレ (sant'Apollinare)
祝祭日7月23日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯44度25分04秒 東経12度11分58秒 / 北緯44.41778度 東経12.19944度 / 44.41778; 12.19944座標: 北緯44度25分04秒 東経12度11分58秒 / 北緯44.41778度 東経12.19944度 / 44.41778; 12.19944
標高4 (0 - 22) [2] m
面積652.89 [3] km2
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ラヴェンナ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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ラヴェンナ(: Ravenna)は、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州にある人口約156,000人の基礎自治体コムーネ)。ラヴェンナ県の県都である。

古代ローマ時代から中世にかけて繁栄した都市で、ラテン語ではラウェンナ(Ravenna)と呼ばれる。西ローマ帝国東ゴート王国が首都を置き、東ローマ帝国ラヴェンナ総督領の首府であった。「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」はユネスコ世界遺産に登録されている。
名称

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

ロマーニャ語 (en) : Ravena

地理
位置・広がり

ラヴェンナはラヴェンナ県の東部に位置し、フェラーラから南東へ66km、州都ボローニャから東へ69km、フィレンツェから北東へ105km、ヴェネツィアから南へ114kmの距離にある。

歴史的にはアドリア海に面した海港都市として築かれたラヴェンナであるが、現代のラヴェンナ市街は内陸に所在しており、海との間は直線距離で8kmほど離れている。ラヴェンナ市街とアドリア海との間は運河でつながっている。

コムーネとしてのラヴェンナはアドリア海に面し、長い海岸線を持つ。ラヴェンナ市街とアドリア海を結ぶ運河の出口にあたるマリーナ・ディ・ラヴェンナ(ラヴェンナ港) (Port of Ravenna) は、イタリアの重要な港湾のひとつである。

コムーネの面積は 652 km2に及ぶ。これはイタリアのコムーネでは第2位の面積で(最大はローマ[注釈 1])、ラヴェンナ県の面積の約1/3を占める。ラヴェンナ県概略図
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のFCはフォルリ=チェゼーナ県、FEはフェラーラ県所属を示す。

アルジェンタ (FE) - 北

コマッキオ (FE) - 北

チェルヴィア - 南東

チェゼーナ (FC) - 南

ベルティノーロ (FC) - 南

フォルリ (FC) - 南西

ルッシ - 西

バニャカヴァッロ - 西

アルフォンシーネ - 北西

気候分類・地震分類

ラヴェンナにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona E, 2227 GGである[4]。また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 3 (sismicita bassa) に分類される[5]
歴史
古代
ローマ以前

ラヴェンナの発祥は明かでない。最初の定住地はティレニア人テッサリア人、またはウンブリ人、エトルリア人によるものと多様にいわれている。ラヴェンナは、湿地帯の潟の中にある小島群上に、堆積物を基礎として建てた家から構成された。数世紀後にできたヴェネツィアと成り立ちが似ている。ローマ人はポー川デルタ地帯を征服した間に、のちにラヴェンナとなる定住地を無視した。しかし、紀元前89年に連邦制の町として共和政ローマの中に受け入れた。
ローマ時代

紀元前49年、ユリウス・カエサルルビコン川を横断する前に自分の軍をこの地で集結させた。紀元前31年、マルクス・アントニウスとの戦い後、アウグストゥス帝がラヴェンナに艦隊用軍港クラッシス(Classis)を築いた。この港は、最初は城壁で守られた重要なローマ海軍の基地であった。現在、市は海から切り離されたが、中世初期までラヴェンナはアドリア海の重要な海港のままだった。

ゲルマン遠征の間、ゲルマン人族長アルミニウスの未亡人トゥースネルダと、マルコマンニ王マルボドゥウスは、ラヴェンナで監禁されていた。

ラヴェンナは、ローマ支配下で大いに繁栄した。トラヤヌス帝は2世紀初頭、70kmの長さのローマ水道を建設した。402年、ホノリウス帝は西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナへ遷都した。遷都には、第一に防衛目的があった。ラヴェンナは泥沢地と湿地に囲まれ、そして東ローマ帝国の軍との行き来に安心であった。しかし409年、西ゴートアラリック1世は簡単にラヴェンナを迂回し、ローマへ向かって略奪をし(ローマ略奪)、人質としてテオドシウス1世の皇女ガッラ・プラキディアを連れてきた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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