ランディーズ・レーンの戦い
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ランディーズ・レーンの戦い
Battle of Lundy's Lane
米英戦争

ランディーズ・レーンの戦いで攻撃するアメリカ軍歩兵

1814年7月25日
場所オンタリオ州ナイアガラフォールズ
結果決着付かず

衝突した勢力
イギリス軍
カナダ軍アメリカ軍
指揮官
ゴードン・ドラモンド+
フィニアス・リアル+#ジャコブ・ブラウン+
ウィンフィールド・スコット+
戦力
開戦時点:
2,200名 大砲5門
援軍:
1,800名 大砲3門開戦時点:
2,000名 大砲3門
援軍:
1,000名 大砲6門
被害者数
死者84名
傷者559名
不明193名
捕虜42名死者171名
傷者572名
不明110名
捕虜7名

ランディーズ・レーンの戦い(-のたたかい、英:Battle of Lundy's Lane)は、米英戦争中の1814年7月25日に、現在のオンタリオ州ナイアガラフォールズイギリス軍アメリカ軍との間に戦われた戦闘である。カナダで行われた戦闘としては、かつてない激戦となった[要出典]。クィーンストン・ハイツでそしてランディーズ・レーンで、我々の勇敢な父親達は、肩をならべ、自由のために、家のために、そして愛する者のために、しっかりと立ち上がり雄々しく死んだ。彼らが守った権利を我々は放棄しないと誓う。我々の合い言葉はいつも「楓の葉よ、永遠に!」だ。 - カナダの国民的歌「en:The Maple Leaf Forever」より。
背景

1814年7月3日、ジャコブ・ブラウン指揮下のアメリカ軍がエリー湖の拠点からナイアガラ川を越えての攻撃に発進した。ブラウン軍は素早くエリー砦を占領し北へ向かった。2日後、ブラウン軍を構成する2つの旅団のうちウィンフィールド・スコット准将の指揮するアメリカ正規歩兵旅団が、チッパワの戦いで同等の戦力のイギリス軍に対して決定的な勝利を勝ち取り、イギリス軍を撤退させた。

この戦闘の数日後、ブラウン軍がチッパワ川のイギリス軍防衛隊を出し抜き、イギリス軍はジョージ砦まで後退させられた。ブラウン軍はこの砦を攻撃するだけの兵力も大砲も持っていなかった。この時点ではイギリス海軍の船隊がオンタリオ湖を支配していた。アメリカ海軍のアイザック・ショーンシー提督は新しい艦船の完成を待っており、その後にイギリス海軍に挑戦するつもりだった。その結果、ブラウン軍には援軍も大砲も届かなかった。一方、イギリス軍はオンタリオ湖を渡ってジョージ砦に幾らかの増援部隊を移動させることができた。

7月の大半、ブラウン軍はジョージ砦から数マイル南のクィーンストンの町を占領していた。この前線にあって、アメリカ軍の補給線がイギリス軍歩兵隊、カナダ民兵隊およびインディアンに嫌がらせを受けていた。7月24日、ブラウン軍はチッパワ川まで後退し、西のバーリントンに転進する前に補給線を確保しておこうとした。ブラウン軍が後退すると直ぐにフィニアス・リアル少将指揮するイギリス軍がチッパワから4マイル (6 km)北のランディーズ・レーンまで出てきた。
ランディーズ・レーン

7月25日の早朝、アッパー・カナダの副総督ゴードン・ドラモンド中将がジョージ砦に到着して、自らナイアガラ半島の指揮を執り始めた。ドラモンドは直ぐにジョン・タッカー中佐の部隊にナイアガラ川の東岸に沿って南下させ、ブラウン軍が西岸を明け渡すことを期待した。ブラウン軍は明け渡す代わりに北へ進軍して、逆にイギリス軍がジョージ砦にタッカーの部隊を呼び戻させるようにしようと考えた。アメリカ軍は明らかにイギリス軍がランディーズ・レーンを確保していることを知らなかった。

リアルはアメリカ軍が前進していることを知ると直ぐに、全軍にジョージ砦に戻るように命じ、またその地域にいたハーキュールズ・スコットの部隊にはバーリントンまで引くように命じた。これらの命令とは逆に、ドラモンドはジョージ砦から増援隊をランディーズ・レーンに向けて発進させた。アメリカ軍が視界に入ったとき、イギリス軍はまだランディーズ・レーンを占領していた。
戦闘

ランディーズ・レーンはナイアガラ川に沿った陸路から分岐した道であり、盛り上がった地形の頂上を走っていたので、その地域の見通しが良かった。イギリス軍の大砲、24ポンド砲2門と6ポンド砲2門および5.5インチ榴弾砲が戦場の最高点にある墓地に集結して据えられた。

チッパワの戦いで勝ちを収めたウィンフィールド・スコットの旅団は、午後遅くに森の中から開けた土地に出てきたところをイギリス軍の大砲の洗礼を受けた。スコットは第25歩兵連隊をイギリス軍の左翼から側面を衝くように向かわせた。この連隊は、イギリス軍やカナダ民兵隊が布陣変えをし、混乱の中で少し引いたところをうまく攻撃できたが、イギリス軍も再集合した。このとき、リアル将軍が馬で後方に引く途中で重傷を負い第25連隊のケッチャム中隊に捕虜にされた。

夜になり、スコットの旅団は損失が激しかったが、ブラウンが主力軍と共に到着した。この中にはエリエザー・ホィーロック・リプリーの正規兵旅団とピーター・B・ポーター指揮下の民兵隊がいた。


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