ランディ・オートン
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ランディ・オートン

プロフィール
リングネームランディ・オートン
本名ランダル・キース・オートン
ニックネームレジェンド・キラー
バイパー(毒蛇)
エーペックス・プレデター (食物連鎖の頂点に立つ男)
身長196cm
体重114kg
誕生日 (1980-04-01) 1980年4月1日(44歳)
出身地 アメリカ合衆国
テネシー州
ノックス郡ノックスビル[1]
所属WWE
スポーツ歴レスリング
キックボクシング
総合格闘技
トレーナーボブ・オートン・ジュニア
OVW
デビュー2000年3月18日
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ランディ・オートン(Randal Keith Orton、1980年4月1日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラー総合格闘家映画俳優WWE所属。テネシー州ノックスビル出身[1]。「毒蛇」のニックネームを持つ[2]

祖父のボブ・オートン・シニア、父のボブ・オートン・ジュニアの2人ともプロレスラーであり、ランディ・オートンは3代目プロレスラーにあたる。父のボブ・オートン・ジュニアは、2005年WWE殿堂入りを果たしており、授賞式ではランディがインダクターを務めた。
来歴
2000 - 2004年

2000年、MMWA-SICW(Mid-Missouri Wrestling Association-Southern Illinois Conference Wrestling)にてプロレスラーデビューを果たす。

2001年WWFと契約を交わし入団。傘下団体であるOVWにてトレーニングを開始。

2002年4月5日[3]、WWEに昇格。SmackDown!にて初登場。程なくして肩を負傷し長期欠場するが、試合に出場できない期間は自身の故障の回復具合を具体的な%数値での申告とファンからの応援メールを募集するコーナーである "RNN" で出演を続け、番組中の良いところで必ず割って入るどうでも良いコーナーという趣旨でファンの顰蹙を買うキャラクターとなる。9月、RAWに移籍。

2003年1月20日、スコット・スタイナーとの対戦にてトリプルHリック・フレアーバティスタが介入した事をきっかけに、トリプルH率いるユニット、エボリューションにトリプルHの後継者として加入。しかし直後に負傷し長期欠場。復帰後、2003年12月に獲得したIC王座を七ヶ月に渡り防衛。過去10年間で最長の記録となる。

2004年、王者として君臨する期間にはミック・フォーリーと抗争。バックラッシュでは王座の懸かったハードコアマッチ形式で対戦。画鋲の上に落とされ、有刺鉄線で殴られるなど大苦戦の末、有刺鉄線の上にRKOを決めタイトルを防衛。この試合で一気に名を上げた。バッド・ブラッドではシェルトン・ベンジャミンとの王座戦で防衛成功。その後王座陥落後、バトルロイヤルを制し世界ヘビー級王座への第一挑戦権を獲得。8月、サマースラムにて世界ヘビー級王座に挑戦。クロスフェイスをカウンターでのRKOを決めてクリス・ベノワに勝利し、WWE史上最年少24歳で世界ヘビー級王者になる。

こうした経緯もありシングルプレーヤーとして十分に売り出せるようになったと判断され、世界ヘビー級王座獲得の翌日にエボリューションから離脱する。アングル上では、リーダーのトリプルHを差し置いて世界ヘビー級王座を獲得したことが裏切りと見なされ追放された。オートン vs エボリューションの抗争を展開する事になり、9月、アンフォーギヴェンでトリプルHに世界ヘビー級王座を奪取された。
2005年

2005年1月、ニュー・イヤーズ・レボリューションロイラルランブルにて王座に連続で挑戦するが連敗。4月、WrestleMania 21では、当時レッスルマニア12連勝中のジ・アンダーテイカーに挑戦。また父のボブ・オートンと組み再びヒールターンした。試合ではチョークスラムをRKOで返すなど善戦するも敗れた。5月、ドラフトでRAWからSmackDown!に移籍。しばらく肩の負傷で休養していたが、サマースラム前に復帰し、アンダーテイカーとの抗争を再開。テイカーを撹乱させようとボブ・オートン共々心理戦を挑んだがテイカーの方が一枚上手であった。しかしノー・マーシーにてWWEでは初のハンディキャップ形式の棺桶戦でテイカーに勝利、棺桶ごと燃やした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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