ランス・オ・メドー
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ランス・オ・メドー
国定史跡
カナダ

ランス・オ・メドー国定史跡
英名L’Anse aux Meadows National Historic Site
仏名Lieu historique national de L’Anse aux Meadows
登録区分文化遺産
登録基準(6)
登録年1978年
備考11世紀のヴァイキング入植跡地
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法表示

ランス・オ・メドー(L'Anse aux Meadows)は、カナダ東部、ニューファンドランド・ラブラドール州ニューファンドランド島最北端にある考古遺跡1978年ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された。カナダ国定史跡にも指定されている。ランソメドウズとも。

1960年ノルウェー人の探検家ヘルゲ・イングスタッド(英語版)とその妻で考古学者のアン・スタイン・イングスタッド(英語版)が発見した。コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。

地名はフランス語と英語の混成で「草原の入江」を意味する。いつからそのように呼ばれるようになったかは定かではないが、元はフランス語で「クラゲの入り江」を意味する「L'Anse-aux-Meduses [1]」と呼ばれ、「Meduses」に音の近い「meadows(牧草地の意)」に転訛していったものと考えられている。
入植地

グリーンランド以外の北アメリカで、唯一ヴァイキング入植地として確認されている遺跡である[2]。長年にわたり考古学調査が行われており、コロンブスの北アメリカ到達から遡ること500年以上前の住居や道具などが出土した。居住地には北アメリカで最初にヨーロッパ人が作った構築物が含まれている。一般には、西暦1000年頃のヴァイキングの航海者レイフ・エイリクソンが到達したヴィンランドだと考えられている。

ランス・オ・メドーの入植地は少なくとも8つの建物からなっている。鍛冶溶鉱炉、船作りを支えた製材所なども見つかっている。最大の建造物は、縦28.8m、横15.6mの床面積があり、複数の部屋からなっていたと思われる。
歴史ノース人(ヴァイキング)の進出ランス・オ・メドーの家

10世紀から11世紀のグリーンランドやニューファンドランドの気候は21世紀現在よりも温暖だったとみられる。レイフ・エリクソンの航海について詳しく書かれたサガ(『グリーンランド人のサガ』および『赤毛のエイリークのサガ』)によれば、986年にビャルニ・ヘルヨルフソン(英語版)(Bjarni Herjolfsson)がアイスランドからグリーンランドに渡る途中、地図もコンパスもない航海で嵐に襲われ、グリーンランドを探して西へ向かっていたところ偶然森に覆われた陸地を見たという。10年後、この話を聴いたレイフはビャルニの船を使い、35人の仲間とともにその土地へ向け出航し、葡萄が豊富で冬でも霜の降りない土地に着き、木の少ないグリーンランドに多くの材木を積んで帰ってきたという。ランス・オ・メドーは、
最初の宿営地

先住民たち(スクレリングと彼らは呼んだ)に追われた後に作った宿営地

サガには出てこない宿営地

のいずれかだと推測されている。

サガはさらに、1010年ごろのソルフィン・ソルザルソン(Thorfinn Karlsefni, トルフィン・カールセフニ・トールズソン)による入植の試みにも触れている。


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