ランカスター家
House of Lancaster
公爵
国 イングランド王国
領地イングランド
主家プランタジネット家
称号
ランカスター伯爵
レスター伯
シャンパーニュ伯
マリ伯爵
フェラーズ伯
ダービー伯爵
ソールズベリー伯
リンカーン伯爵
ランカスター公
創設1267年(752年前) (1267)
家祖エドマンド
最後の当主ヘンリー・オブ・グロスモント
現当主男系は滅亡
滅亡1361年
ランカスター家
House of Lancaster
王朝
国
イングランド王国
フランス王国
カスティーリャ王国
ポルトガル王国
領地イングランド
主家プランタジネット家
称号
ランカスター公
イングランド国王
フランス国王
創設1362年(657年前) (1362)
家祖ジョン・オブ・ゴーント
最後の当主ヘンリー6世
現当主男系は滅亡
滅亡1471年
分家
ボーフォート家(嫡出子)
サマセット家(嫡出子)
ランカスター家の紋章
ランカスター朝(ランカスターちょう)は、中世イングランドの王朝。1399年から1461年まで、および1470年から1471年までの間、イングランドを統治した。 ランカスター家(House of Lancaster)は、エドワード3世の四男ジョン・オブ・ゴーントに始まる、ブランタジネット家の分家の一つである。家名はこの家系がジョン・オブ・ゴーント以来ランカスター公位を継承していたことによるものであるが、ジョンがこの公位を獲得したのは最初の結婚によってであり、その創設は1267年にヘンリー3世の次男エドマンド(「クラウチバック」の異名で知られる)がランカスター伯に叙せられたことに始まる。 エドマンドの長男トマスは6つの伯を兼ね、イングランド最大の諸侯として影響力を強めたが、従弟のエドワード2世と対立した結果、所領を没収され刑死した。しかしトマスの弟ヘンリーの息子ヘンリー・オブ・グロスモントはエドワード3世の下、百年戦争で活躍し、1351年にランカスター公の称号を得た。ヘンリーには息子がなかったが、娘のブランシュがジョン・オブ・ゴーントと結婚し、ジョンがランカスター公となった。 1399年にジョンが没すると、甥のイングランド王リチャード2世はランカスター公領を没収した。これに対しジョンの息子のヘンリー・ボリングブルックが反乱を起こし、同年にリチャード2世を廃位しヘンリー4世として即位し、ランカスター朝を創始した。 これに先立つ1385年、ジョンの弟エドマンド・オブ・ラングリーがヨーク公の称号を得てヨーク家を起こし、ランカスター家に対抗する勢力となった。 第2代のヘンリー5世は百年戦争で華々しい戦果を得たが、ヘンリー6世の時代にそれらは失われ、ヨーク家との間に薔薇戦争が勃発(1455年)、1461年にヘンリー6世はヨーク朝のエドワード4世に王位を奪われ、幽閉された。ヨーク朝の内紛によりヘンリー6世は1470年に復位したが、翌1471年に反撃に出たエドワード4世に捕らえられ、殺害された。その後ランカスター家は復活できず、1485年までヨーク朝がイングランドを支配した。 ヘンリー7世は母マーガレット・ボーフォートがランカスター家傍系のボーフォート家の出身であったことから王位継承権を主張し、ヨーク家のリチャード3世を攻め滅ぼしてテューダー朝を興した。
目次
1 ランカスター家
2 ランカスター朝の成立と終焉
3 歴代国王
4 系図
5 関連項目
ランカスター家
ランカスター朝の成立と終焉
歴代国王
ヘンリー4世(在位:1399年 - 1413年)
ヘンリー5世(在位:1413年 - 1422年)
ヘンリー6世(在位:1422年 - 1461年、1470年 - 1471年)
系図
ヘンリー3世
イングランド王 エリナー・オブ・プロヴァンス ロベール1世
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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