ラレド
City of Laredo
ラレドのスカイライン
市旗市章
愛称 : 出入口の都市、7つの旗の下の都市
位置
ウェブ郡内の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯27度31分28秒 西経99度29分36秒 / 北緯27.52444度 西経99.49333度 / 27.52444; -99.49333
ラレド(英: Laredo、発音:英語ではl??re?do?、スペイン語ではla??edo)は、アメリカ合衆国テキサス州の都市。ウェブ郡の郡庁所在地である。人口は25万5205人(2020年)。アメリカ=メキシコ国境に接している。リオ・グランデ川の対岸はメキシコのヌエボ・ラレドである。
経済はメキシコとの国際貿易に依存している。ラレドは国境の物流拠点として機能しており、主要な物流会社の大半がラレドに設備を持っている。ラレドは州間高速道路35号線の南端にあり、メキシコ北部の製造業者に近いことで、アメリカとメキシコの貿易における重要な役割を推進している。
ラレドはテキサスの6本の旗に加えて7本目の旗(リオ・グランデ共和国旗)を翻していることで特徴がある。ラレドは1755年に設立され、単なる集落から短期間ではあるがリオグランデ共和国の首都に、さらにアメリカ=メキシコ国境でも最大の内陸港にまで成長してきた。今日、メキシコとの国境であるリオ・グランデ川の上には4つの国際道路橋と1つの鉄道橋が架かっている。ラレドの気候は夏が準乾燥、冬は温暖である。
ラレド国際空港が市域内にあるが、対岸のヌエボ・ラレドにもケツァルコアトル国際空港がある。プロスポーツ・チームとしてはラレド・バックス、ラレド・ブロンコスおよびラレド・ヒートの3つがある。市内にはテキサス農工国際大学とラレド・コミュニティカレッジがある。最大の祭りであるワシントン誕生日祝典は毎年2月の1ヶ月を使って開催され、数十万人の観光客を呼んでいる。この祝典に絡んで、ハラペーニョ(唐辛子)祭、ストックメンズボール、ポカホンタス王女ペイジェント、ミスター・サウステキサス・ランチョン、航空ショー、および2つの大きなパレードが行われる。
歴史1892年のラレド
スペイン領ヌエバ・エスパーニャのヌエヴォサンタンデル地域に入っていた1755年に、ドン・トマス・サンチェスによってサン・アグスティン・デ・ラレドの集落が設立された。ビラ・デ・サン・アグスティン・デ・ラレドはスペインのカンタブリア州にあるラレドとヒッポの聖アウグスティヌスに因む命名だった。1840年、ラレドはアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナに反抗して独立したリオ・グランデ共和国の首都となり、その後軍事力によってメキシコに引き戻された。1846年、米墨戦争のとき、この町はテキサス・レンジャーズに占領された。戦後、グアダルーペ・イダルゴ条約によって、この土地はアメリカ合衆国に割譲された。このとき住民投票が行われ、地域を統治していたアメリカの軍政府に対して、町をメキシコに戻すよう請願が行われた。この請願は拒絶され、住民の多くの者が対岸のメキシコ領に入ってヌエボ・ラレドを設立した。1849年、アメリカ軍はマッキントッシュ砦(当初はキャンプ・クロウフォード)を建造した。ラレドは1852年に市政を布いた。ラレド中心街のサン・アグスティン広場にあるメキシコのイグナシオ・サラゴサ将軍の像。1862年のプエブラの会戦で勝利し、ヒスパニックの英雄になった。
ラレドはアメリカ・メキシコ国境で最古の国境越え地点の一つであり、国内最大の通関用内陸港である。2005年、ラレドは設立250周年を祝った。
ラレドの名前がスペインのラレドの町から来たという説には不確かなところがある。学者によっては「砂と岩の多い場所」を意味する「グラレトゥム」から派生したと言う者がおれば、バスク語で「美しい牧場」を意味する言葉から派生したと言う者もいる[2]。