ラルフ・ローレン
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ラルフ・ローレン
Ralph Lauren
2013年
生誕Ralph Rueben Lifshitz
(1939-10-14) 1939年10月14日(84歳)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
国籍 アメリカ合衆国
民族ベラルーシ系アシュケナジム
出身校ニューヨーク市立大学バルーク校中退
職業.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

ファッションデザイナー

実業家

活動期間1967年 -
純資産約93億ドル(2024年時点)[1]
肩書きラルフ・ローレン会長およびCCO
配偶者リッキー・ローレン (m. 1964)
子供ディラン・ローレン
デヴィッド・ローレン
含む3人
親戚グレッグ・ローレン(甥)
栄誉大英帝国勲章ナイトコマンダー
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ラルフ・ローレン(Ralph Lauren, KBE1939年10月14日 - )、本名:ラルフ・ルーベン・リフシッツ(Ralph Rueben Lifshitz)は、米国ニューヨーク出身のファッションデザイナー、また彼が設立したファッションブランド
概要ラルフ・ローレンのロゴとショップ・ウィンドウ (香港)ラルフ ローレン表参道(直営店)

企業としてのラルフ・ローレンは、特に高級スーツやポロシャツなどのメンズウェアでその名を知られ、ブルックス・ブラザーズと並ぶアメリカン・トラディショナル(アメトラ)の代表的存在とされている。通称「ラルフ」、「ポロ」。

オリンピックアメリカ合衆国代表のユニフォームも複数の大会で手掛けている。ジュエリー、時計部門は、リシュモングループの傘下にある。
経歴

1939年、ニューヨークのブロンクス区に、ベラルーシ系アシュケナージユダヤ人の移民で家屋塗装業を営むフランク・リフシッツ (Frank Lifshitz) とフレイドル・コトラー (Fraydl Kotlar) の間に生まれた。

ニューヨーク市立大学バルーク校にて2年間ビジネスを学ぶが中退。1962年から1964年までアメリカ陸軍に入隊。除隊後、セールスマンとしてブルックス・ブラザーズに勤務。

1967年、ネクタイメーカーのボー・ボランメル社にデザイナーとして入社。幅広のネクタイをデザインし、若者に支持される。

1968年、ノーマン・ヒルトンの財政的支援のもと独立し、「ポロ・ファツションズ」を設立し、自身のブランド「ポロ (Polo)」をスタート。

1970年1973年に、服飾業界の名誉ある賞「コティ賞」を受賞。

1971年から婦人服も手がけ始めた。

1974年映画華麗なるギャツビー』の主演のロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当。

1977年、映画『アニー・ホール』にてヒロインのダイアン・キートンがラルフ・ローレンの衣装を着用し、“アニー・ホール・ルック”として一世を風靡する。

1986年パリアメリカ人デザイナー初の路面店をオープン。

1992年、国際ヨットレースで有名なアメリカズカップにスポンサードし、アメリカチームにユニフォームを提供。同年、アメリカのファッションデザイナー協議会で、オードリー・ヘップバーンから功労賞を受賞。

1997年、公開企業となり、ニューヨーク証券取引所に上場。

1999年、ラルフ・ローレンが手掛ける初のレストラン「RL Restaurant」をシカゴにオープン。

ラルフ・ローレン事業部を立上げていた西武百貨店による100%出資で、2002年11月に「株式会社ポロ・ラルフ ローレン ジャパン」が設立(1990年代に存在した同名会社とは別)。代表取締役は檜山俊夫。

2004年10月15日、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーション社100%出資による、「ラルフ・ローレン・リテール・ジャパン有限会社」が設立される。同社はラルフ・ローレンの日本直営店や、アウトレットのファクトリーストアを運営。

2006年3月30日、東京・表参道にアジアのフラッグシップストアとなる「ラルフ ローレン表参道(RALPH LAUREN Omotesando)」をオープン。白壁で造られた佇まいから、ブランドファンの間では「ホワイトハウス」の愛称で親しまれるようになった。後に銀座にも路面店を開店。

2007年時点で、ラルフ・ローレンはアメリカ国内に35か所以上のブティックを所有。そのうち23か所ではラルフ・ローレン・パープル・レーベルも扱っていた。

2009年4月、日本でラルフ・ローレンブランドを展開していた株式会社ポロ・ラルフ ローレン ジャパン、ラルフ・ローレン・リテール・ジャパン有限会社、ほかオンワード系等の4社が統合され、「ラルフローレン株式会社」が設立される。(初代代表取締役:エドワード・コール、2014年からの2代目代表取締役:アレッサンドロ・ラニョーロ、3目代表取締役:ジェイ・キンプトン)

同年、広告に起用したモデルの写真に過剰なデジタル修正を施していたことが話題となり、これについて、「女性の体型についての歪んだイメージで写真を修正したことに責任を感じている」との旨の謝罪を行った[2]。問題となった専属モデルはフィリッパ・ハミルトンで、「太りすぎている」との理由からラルフ・ローレンから解雇されていたことも明らかとなっている。

2010年、パリのサンジェルマン=デ=プレにあるラルフ・ローレンショップ内に、レストラン「Ralph's」をオープン。

2012年9月29日、「DENIM & SUPPLY」が原宿キャットストリートに日本初(世界では2番目)となるフラッグシップストアをオープン。

2013年11月14日、「ラルフ ローレン表参道」に併設されていた「RUGBY RALPH LAUREN CAT STREET」の跡地に、「RRL」の日本初となるフラッグシップストア「RRL表参道」がオープン。

2014年9月、高級ブティックが軒を連ねるニューヨークの5番街に、「POLO RALPH LAUREN(ポロ ラルフ ローレン)」レーベル初のフラッグシップストア「POLO RALPH LAUREN Flag Ship Store(2015年までの名称:Polo by Ralph Lauren Flag Ship Store)」がオープン。その2Fには、ラルフ・ローレンが手掛ける初のカフェ「Ralph's Coffee」も同時オープンした。

2014年9月30日、中国での初のラルフ・ローレンのフラッグシップストアを、香港・銅鑼湾(コーズウェイベイ)にあるショッピングセンター「ザ・リーガーデンズ」内にオープン。

2015年1月9日、ニューヨーク5番街の「Polo by Ralph Lauren Flag Ship Store」に隣接した場所に、レストランBar「THE POLO BAR」をオープン。1階がバー、地下1階がレストラン。看板メニューは「POLO BARバーガー」。

2015年、クリストファー・ピーターソン最高財務責任者 兼 副社長が、グローバル・ブランド・プレジデントに昇格。

2015年11月、創業者のラルフ・ローレンがプレジデント(社長)、およびCEO(最高経営責任者)を退任し、H&M及びオールド・ネイビー出身のステファン・ラーソンが新社長 兼 CEOに就任。これにより、ラルフ・ローレンはエグゼクティブ・チェアマン(常勤の代表取締役会長) 兼 チーフ・クリエイティブ・オフィサーとなる。

2016年6月、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーションは1億8000万?2億2000万ドル(181億?222億円)の経費節減を図るために、大規模な事業再編を実施。正社員の8%に当たる約1,000人をリストラし、更に米国内の約50店舗を閉鎖することを発表。

2016年9月、「POLO RALPH LAUREN(ポロ ラルフ ローレン)」が、ロンドンのリージェント・ストリートにヨーロッパ初のフラッグシップストアをオープン。

2016年度の英国ファッション協会主催「Fashion Awards(ファッション・アワード)」にて、Outstanding Achievement Award(功労賞)を、会長のラルフ・ローレンが受賞。

2017年2月2日、社長 兼 CEOのステファン・ラーソンが在籍わずか1年半で、同年5月1日付で退任することを発表。創業者であるラルフ・ローレンとの間にクリエイティブ面での対立があったことを説明した。


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