ラルフ・ラングニック
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ラルフ・ラングニック

オーストリア代表監督時代(2022年)
名前
愛称プロフェッソア(教授)[1]
ラテン文字Ralf Rangnick
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1958-06-29) 1958年6月29日(65歳)
出身地バーデン=ヴュルテンベルク州バックナング
身長181cm
選手情報
ポジションMF (DH)

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1976-1979 シュトゥットガルト II
1979-1980 サウスウィック 66 (6)
1980-1982 ヘイルブロン 32 (0)
1982-1983 ウルム 18
1983-1985 バックナング
1987-1988 リッポルツヴァイラー
監督歴
1983-1985 バックナング
1985-1987 シュトゥットガルト II
1987-1988 リッポルツヴァイラー
1988-1990 コルプ
1990-1994 シュトゥットガルト U-19
1995-1997 ロイトリンゲン
1997-1999 ウルム
1999-2001 VfBシュトゥットガルト
2001-2004 ハノーファー
2004-2005 シャルケ
2006-2011 ホッフェンハイム
2011 シャルケ
2015-2016 RBライプツィヒ
2018-2019 RBライプツィヒ
2021-2022 マンチェスター・ユナイテッドFC (暫定)
2022- オーストリア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラルフ・ラングニック(Ralf Rangnick、1958年6月29日 - )は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州バックナング出身の元サッカー選手実業家、現サッカー指導者。
経歴
指導者時代

VfBシュトゥットガルトに在籍するも、プロにはなれなかった。アマチュアのクラブでプレーし、選手兼監督を務めることもあった。1996-97シーズンにはSSVウルム1846を2部に昇格させ、VfBシュトゥットガルトの監督に抜擢された。1999-2000シーズンのドイツ・カップ準優勝、UEFAカップベスト16など結果を残した。シャルケ04監督時代(2005年)

2001年にハノーファー96の監督に就任すると1部昇格を果たした。2004-05シーズン途中に就任したシャルケ04では就任1年目からリーグ戦2位の成績を残した。しかし、当時のゼネラル・マネージャー、ルディ・アサウアーとの確執が囁かれ、2005-06シーズン終了時の退任を決断していたが[2]、辞任する前の2005年12月12日に解任された。ホッフェンハイム監督時代(2007年)

2006年夏、ディートマー・ホップオーナーの招きでドリッテリーガ(3部)にいたTSG1899ホッフェンハイムの監督に就任し、わずか2年でブンデスリーガ(1部)に昇格させた。その後も、チームの躍進に貢献するも、2011年1月2日、クラブがラングニックの同意なしに、主力選手であったルイス・グスタヴォバイエルン・ミュンヘンへ売却したことで首脳陣と衝突、ホッフェンハイムの監督を辞任すると発表した[3]

同年3月17日、ブンデスリーガでの成績不振により解任されたフェリックス・マガトに代わってシャルケ04の監督に復帰することが発表されたが[4]、同年9月22日にバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥り[5]、健康上の理由で辞任した[6]
レッドブル傘下クラブ・開発スタッフ就任

2012年7月、エナジードリンクレッドブル』などの販売を手掛けるレッドブル・グループが運営する2つのクラブ、レッドブル・ザルツブルクRBライプツィヒの統括スポーツディレクターに就任し、指南役として両クラブのために戦術書を作って配り、「タレントに投資してさらに高く売る」という独自の移籍戦略を推し進めた。その戦術の中に「ボール奪取から8秒以内にシュートに持ち込まなければならない」という「8秒ルール」がある[7]。この「ラングニック学校」ともいうべきクラブからロガー・シュミットアレクサンダー・ツォルニガーペーター・ツァイドラーという監督を輩出した。

2015-16シーズンを前にレッドブル・ザルツブルクの仕事を後任に託し、2015年当時ドイツ2部にあったRBライプツィヒのスポーツディレクターとしての仕事に専念しようとしたが、人事において新監督招聘に失敗したため、兼任のまま自らRBライプツィヒの監督に就任し現場に復帰した[8]。監督として迎えた2015-16シーズンは序盤から首位争いを繰り広げ、最終的にSCフライブルクに優勝こそ譲ったものの、2016年5月8日の第33節、カールスルーエSC戦に勝利し、自動昇格となる2位を確定させ、創設8年目にして悲願のブンデスリーガ昇格に導いた[9]。シーズン終了後に新監督としてインゴルシュタット監督であったラルフ・ハーゼンヒュットルの招聘に成功したことから退任し、スポーツディレクター職に専念することになった。


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