ラルジャンティエール
行政
国 フランス
地域圏 (Region)オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
県 (departement)アルデシュ県
郡 (arrondissement)ラルジャンティエール郡
ラルジャンティエール(仏: Largentiere、オック語: L'Argentieira)は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、アルデシュ県にあるコミューン。県内に二つある郡庁所在地の一つである(もう一方はトゥルノン=スュル=ローヌ)。
住民はラルジャンティエロワ(Largentierois)、もしくはラルジャンティエロワーズ(Largentieroises)と呼ばれる。郡庁所在地としてはアルプ=ド=オート=プロヴァンス県のカステラーヌに次いで、国内で二番目に小さい。 県南部、リーニュ川の渓谷沿いに位置する。オーブナの南10km、ヴァランスの南西85kmにある。 13世紀までは「セギュアリエール」(Segualeria)という地名であった。10世紀から15世紀にかけ、トゥールーズ伯とヴィヴィエ司教により銀鉱が開拓された。 かつて街を支配したヴィヴィエ司教や地元の名家は、中世の街並み、15世紀の城、13世紀に建てられたノートル=ダム=デ=ポミエ教会などの建築遺産を守ってきた。 小さな村だったラルジャンティエールは19世紀に工業化を遂げた。今日、ラルジャンティエールには郡庁が置かれ、県南部の行政の中心地となっている。その一方、夏には観光客でたいへん賑わう。 1982年まで、パリ・リヨン・地中海鉄道(PLM)とフランス国鉄(SNCF)がサン=セルナン
地理
歴史ラルジャンティエール城
1974年12月1日にトリエを編入したが、1989年1月1日に分離した。
紋章
ラルジャンティエールの紋章には、紺地に両側2箇所の物見台と銃眼つきの塔を有する白い城が描かれている。塔には白旗が立てられている。全てレンガ造りで、黒で明り取りの窓が描かれている。 就任年退任年氏名所属政党備考
行政
近年の首長
1983年1995年アンドレ・モンテイユ共和国連合
1995年2001年3月エドモン・ラフォン右派諸派
2001年3月2014年3月ジャン=ロジェ・デュラン[1]新中道
議会は首長も含め19人で構成される[2]。
人口の推移[3][4]
1793年
1793人1800年
1706人1806年
1952人1821年
2250人1831年
2919人1836年
2879人1841年
3088人1846年
3214人1851年
3160人
1856年
3281人1861年
2992人1866年
3144人1872年
3135人1876年
2962人1881年
2783人1886年
2697人1891年
2820人1896年
2472人
1901年
2354人1906年
2283人1911年
2165人1921年
1887人1926年
2043人1931年
1855人1936年
2021人1946年
1777人1954年
1673人
1962年
1819人1968年
2888人1975年
2782人1982年
2520人1990年
1990人1999年
1942人2007年
1820人
1962年から1968年にかけ、人口が急激に上昇したのは、ラルジャンティエールが多くのハルキ(北アフリカでフランス軍補充兵となった現地人兵士)を受け入れたためである。また、1982年から1990年にかけて減少したのは1989年にトリエが分離したためである。 1982年まで、ペナロヤ社が鉛、亜鉛、銀を採掘していた[5]。これらの鉱山はかつてロスチャイルド家の所有だった[6]。鉱山が閉鎖された今、製糸産業は危機に瀕しており産業基盤は弱体化している。
観光スポット
15世紀のラルジャンティエール城
中世の街並み
13世紀に建てられた、ゴシック様式のノートル=ダム=デ=ポミエ教会
外観
西門
正門
祭壇
村のパノラマ
絹の博物館 - 蚕が飼育され始めてからの製糸の歴史を展示している
経済
放置された採掘施設
オメガ製薬研究所。製糸工場の改装例である
ゆかりの人物
ジャン=ルイ・ジロー=スーラヴィ(1752年 - 1813年) 地理・歴史家。著書に「南仏自然史」(全八巻、未完)や「ルイ16世治世下の歴史・政治回想録」がある
アルバン・マゾン(1828年 - 1908年)、別名「フランク博士」 ヴィヴァレー地方の歴史家。1904年には「ラルジャンティエール史」を出版した
エドゥアール・フロマン(1884年 - 1973年) 政治家
ルイ=ガブリエル・スーシェ(1770年 - 1826年) 軍人。ノートル=ダム=デ=ポミエ教会に眠っている
アレン・モーヴァン(1944年 - ) リヨン・アカデミー元学長
アンリ・リヴィエ(1870年 - 1950年) アルメニア紙の創始者の一人
ミシェル・テストン(1944年 - ) 詩人・作家。著書に「ロートレアモン伯爵、詩人の仕事における神経症とキリスト教」がある
ジェローム・ティセラン(1948年 - ) 画家。パリ市文化顧問、エヴルー文化庁理事を務める。レジオンドヌール勲章の「シュヴァリエ」受章
脚注^ ⇒Prefecture de l'Ardeche fichier au format PDF date du 1er juillet 2008
^ 外部リンクの「データベース」より
^ ⇒Largentiere sur le site de l'Insee
^ ⇒Largentiere sur le site Cassini
^ ⇒Images de l'exploitation de la mine