ラリー・ヴァン・クリート(Larry Van Kriedt、1954年ころ - ) は、ハード・ロック・バンドAC/DCの結成時のベーシスト。1973年11月にAC/DCが結成されたときのラインナップは、マルコム・ヤング(リズムギター)、アンガス・ヤング(リードギター)、デイヴ・エヴァンス(リード・ヴォーカル)、コリン・バージェス(ドラム)と、ヴァン・クリート(ベース)だった。ヴァン・クリートは、ベースのほか、サキソフォンなども演奏する。
姪はyonigeのギターヴォーカルを務める牛丸ありさ[1]。 ラリー・ヴァン・クリートは、いろいろな楽器を演奏するが、もともとサンフランシスコの音楽一家の生まれである。父デヴィッド・ヴァン・クリート
経歴
生い立ち
1969年、15歳のときにヴァン・クリート一家はオーストラリアのシドニーへ移住し、到着後間もなくラリーはアンガス・ヤングと知り合い、アンガスや、その兄のマルコム・ヤングとつき合うようになった。当時のラリーは、既にジャズ系のギタリストとして一人前だったと言われている。1973年、オリジナル・ラインナップのAC/DCのベーシストとして、スタジオ・セッションをほぼ初めて経験することになった。 ヴァン・クリートは4ヶ月バンドに留まったが、1974年2月には脱退し、ベースはニール・スミス(Neil Smith)に交代した。その後数ヶ月にわたってAC/DCは何人ものベーシストを雇い、4月からはロブ・ベイリーがメンバーとなるが、1975年1月にはベイリーが解雇されてしまい、直後にはヴァン・クリートが復帰して穴を埋めることも何回かあった。やがて、適任者が見つかるまではマルコム・ヤングか、ヤング兄弟の兄ジョージ・ヤングがベースを担当することが決まる。適任者として、新たに3月からメンバーとなったのはマーク・エヴァンスであった。 ちなみに、ヴァン・クリートは、AC/DCの歴史において、唯一のアメリカ合衆国生まれのメンバーである。 ヴァン・クリートは、様々なスタイルの音楽を演奏し、アーティストとしても、プロデューサーとしても、数多くのアルバムを作っており、自ら所有する録音スタジオの運営も行っている。ヴァン・クリートは、The Eighty Eights、Non Stop Dancers、Def FX 1997年から1999年まで、ヴァン・クリートはモロッコに住み、自らが率いるバンドAfamとともに、ラジオ、テレビ、コンサートで活躍した。1998年には、エッサウィラで開催された第1回グナワ・フェスティバルで、チャリティ資金を集めるために一役買った。モロッコを離れた後は、バスキングをしながら世界各地を回り、ストリートでジャズを演奏しながら、ロンドンからプロヴァンスを経て、シドニーに戻ってきた。この頃から、ヴァン・クリートは、ジャズのスタンダード曲のバッキング・トラックを作成するようになった。 2002年、ヴァン・クリートは、世界で初めて、ジャズのバッキング・トラックがオンラインでダウンロードできるサイト「Jazzbacks.com」を開設した。 2007年、ヴァン・クリートは、ポール・アグバコバ(Paul Agbakoba)と The LPs[2]を始めた。
AC/DC
AC/DC脱退後
脚注^ ⇒Mashup!: 2015.9.2 「yonige」
^ ⇒The LPs - Jazz Musicians group Sheffield Latin Funk Soul Jazz Archived
参考文献
AC/DC Maximum Rock & Roll, Murray Englehart with Arnaud Durieux, 2007
Two Sides To Every Glory, Paul Stenning, 2005
"Metal Hammer & Classic Rock present AC/DC", Metal Hammer magazine special, 2005
外部リンク
AC/DC
⇒jazzbacks.com
⇒http://www.myspace.com/larryvankriedt