コロラド州ラリマー郡
郡のコロラド州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1861年11月1日
郡名の由来ウィリアム・ラリマー・ジュニア
郡庁所在地フォート・コリンズ
最大の都市フォート・コリンズ
面積
- 総面積
- 陸
- 水
6,822 km2 (2,633.86 mi2)
6,737 km2 (2,601.30 mi2)
84 km2 (32.56 mi2), 1.24%
人口
- (2020年
ラリマー郡(ラリマーぐん、英: Larimer County)は、アメリカ合衆国コロラド州の北部に位置する郡である。ワイオミング州との州境に沿ったコロラド東部平原の外れ、フロント山脈の北端に位置している。人口は35万9066人(2020年)[1]。郡庁所在地はフォートコリンズ市であり[2]、同郡で人口最大の町である。郡の全体がフォートコリンズ・ラブランド大都市圏を構成している。郡名はデンバーの設立者だが、郡内には一度も足を運んだことがないと考えられているウィリアム・ラリマー・ジュニアに因んで名付けられた。 ラリマー郡は1861年11月1日にコロラド準州によって創設された最初の17郡の1つである。しかしその西側の郡境については論争があった。つまりその境界はメディシンボウ山脈で終わるか、あるいはさらに30マイル (48 km) 西の大陸分水界で終わるかだった。1886年コロラド州最高裁判所は大陸分水界だという判決を下したが、それとメディシンボウ山脈の間の土地は1909年にジャクソン郡として分離された。 金、銀など鉱業で設立されたコロラド州の他地域とは異なり、ラリマー郡の開拓地はほとんど全てが農業に基盤を置いており、コロラド・ゴールドラッシュの初期にはこの地域で農業が成り立つと考える者は少なかった。鉱山ブームはラリマー郡とはほとんど関係なく過ぎ去った。1860年代には地域に灌漑が施され、そこから開拓地が広がるようになった。 19世紀前半にヨーロッパ人がこの地域に到着した時、ユト族インディアンが山岳地域を、シャイアン族とアラパホ族が丘陵部の麓に沿った台地を占有していた。この地域が1803年のルイジアナ買収でアメリカ合衆国の領土となり、ミズーリ準州の一部として編入されてから間もなく、フランス人の毛皮罠猟師達が19世紀の初期に入ってきた。1828年、ウィリアム・H・アシュレーが現在のユタ州にあるグリーン川に向かう途中でキャッシュ・ラ・プーダー川を上った。この川自体はフランス語で「火薬を隠す」という意味があり、1830年代半ばにフランス語を話す罠猟師が、現在のラポートあるいはベルビューに近い川の堤に火薬を隠したという曖昧な出来事に端を発して、その名前が付けられていた。1848年、チェロキー族の一団がカリフォルニア州に向かう途中で、プーダー川の北支流に沿って郡内を過ぎ、ララミープレインズに行ったが、その道がチェロキー・トレイルと呼ばれるようになった。 この地域がネブラスカ準州の一部だった1858年、ララミー砦条約
歴史
初期の歴史フォートコリンズ近くを通る荷車道、1850年6月7日に制作されたスケッチ
1862年、ジャニスが設立していた開拓地が陸路駅馬車路の停車地となった。この駅馬車路は北のワイオミングの中の経路ではインディアンからの攻撃の怖れがあったので、新たに設けられた。1861年、コロラド準州が組織化され、ラポートが最初の郡庁所在地に指定された。1862年、アメリカ陸軍がラポートの近くに前進基地を設け、キャンプ・コリンズと名付けられた。1864年6月に起きた大洪水によって、この基地が流され、アメリカ陸軍はより良い場所を探した。1860年にプーダー川沿いに入植していたジョセフ・メイソンの勧めで、陸路駅馬車路に沿ったメイソンの土地の下流側に基地を移した。この新しい基地の場所がフォートコリンズ市の町の核となり、陸軍が去った後の1873年に町は法人化された。この時までにメイソン達がコロラド準州議会を説得してフォートコリンズを郡庁所在地に指定させていた。1870年、準州議会はフォートコリンズを州立農業カレッジ(後のコロラド州立大学)の建設地に指定したが、それは暫く紙の上だけのことだったので、地元住民が最初の学舎を建てる費用を集めた。1873年、ロバート・A・キャメロンとグリーンリー・コロニーのメンバーがフォートコリンズ農業コロニーを設立し、それが町の都市計画を拡張し、人口を増やすことになった。 郡初期住民の主要目標の1つは鉄道を誘致することだった。1870年にデンバー・パシフィック鉄道が郡内を通らず、東のウェルド郡グリーリーを通ったときに郡民は落胆した。しかし1877年にコロラド中央鉄道がゴールデンから北にロングモントを経由してワイオミング州シャイアンまで延伸され、郡内を鉄道が通った。フォートコリンズの町制委員会はこの鉄道線のために町の中心(さらにまだ建設されていなかったカレッジの敷地)を通る通行権を設定し、それが今日まで続く問題の発端になった。 新しい鉄道線に沿って、ラブランドやバーソウドのような新しい計画都市が立ち上がった。ラブランドはコロラド中央鉄道の社長、バーソウドはその測量長の名前に因んで名付けられた。同様に1903年設立のウェリントンの町は鉄道従業員の名前から採られた。
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