ラムジー・キャンベル
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ラムジー・キャンベル

ペンネームカール・ドレッドストーン、ジェイ・ラムゼイ
誕生 (1946-01-04) 1946年1月4日(78歳)
リバプール, イングランド, U.K.
職業作家、映画・文学批評家、編集者
ジャンルホラー, スリラー, ダーク・ファンタジー, サイエンス・フィクション
影響を受けたもの

ハワード・フィリップス・ラヴクラフト, ロバート・エイクマン, フリッツ・ライバー, アーサー・マッケン, アルジャーノン・ブラックウッド

影響を与えたもの

en:Kealan Patrick Burke, en:Mike Chinn, ポピー・Z・ブライト(英語版)

公式サイト ⇒http://www.ramseycampbell.com/
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ジョン・ラムジー・キャンベル(:John Ramsey Campbell、1946年1月4日- )はイギリスホラー小説作家である。

1960年代に最初の名声を得たときから、批評家達はキャンベルをホラーの分野における筆頭作家の1人とみなしている。T・E・D・クライン(英語版)は「キャンベルは今日のその分野で最高峰に君臨している。」と書き記している[1]。一方、S・T・ヨシは「後代の者たちは彼を、ラヴクラフトブラックウッドにも等しい、我々の世代における筆頭のホラー作家とみなすだろう。」と述べている[2]
人物

キャンベルは1946年1月4日にイギリスリヴァプールで生まれた。キャンベルの少年期および思春期は、両親の間にある亀裂と母親の進行する統合失調症の影響下にあった。キャンベルはThe Face That Must Dieの序文および後書きにて詳細にその体験を語っている[3]。両親とともに同じ家に住んでいたにもかかわらず、キャンベルは「20年近く面と向かって父親を見たことはなかったし、初めて見た時には彼は死の寸前だった。」と述べている。

1971年1月1日、キャンベルはA・バートラム・チャンドラーの娘ジェニー・チャンドラーと結婚した。2人の間にはタムシン(1978年生まれ)、マシュー(1981年生まれ)の2人の子供がおり、一家はマージーサイドに居住している。

キャンベルは英国幻想文学協会(en:British Fantasy Society)の終生会長である。
経歴

1962年にアメリカアーカム・ハウスの単行本『ダーク・マインド、ダーク・ハート(英語版)』(邦:漆黒の霊魂)収録の『ハイ・ストリートの教会』でデビューする[4]

キャンベルの初期作品はハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品に大きく影響を受けている。1964年にアーカム・ハウスから出版された最初の短編集The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenantsはクトゥルフ神話の作品集であった[4]。「安易に既成の神話アイテムに頼ってはいけない」というオーガスト・ダーレスの提案に従って[5]、キャンベルはラヴクラフト的恐怖を描写するために、キャンベル独自の環境としてセヴァーン谷(英語版)を作り出した。そして、アメリカマサチューセッツを舞台にしていた最初期の作品を、イングランドのグロスタシャー州にある架空の都市ブリチェスターセヴァーン川付近のセヴァーン谷地域に舞台を移して書き直した[6]。ブリチェスターはキャンベルの生まれたリヴァプールに深く影響を受けており、また、彼の後の作品の多くはその舞台をリヴァプールやマージーサイドに置いている。特に、2005年の長編Secret Stories(アメリカではSecret Storyという名で2006年に要約版として出版された[7])ではリヴァプール人の話し方、性格、ユーモア、文化を例示すると同時に風刺している。クトゥルフ神話の旧支配者グラーキアイホートイゴーロナクダオロスグロースバイアティス妖虫シャン族などは、キャンベルが創造した。

1973年の短編集Demons by Daylightでは、キャンベルは可能な限りラヴクラフトに類似した表現を用いないように努めている。1969年に、ファンジン誌Shadowに寄稿したLovecraft in Retrospectと題するエッセイ[8] にて、キャンベルは「徹底的に(ラヴクラフトの)作品を非難している[9]」。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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