ラムシュタイン航空ショー墜落事故
Ramstein air show disaster犠牲者の追悼のため建てられた碑
出来事の概要
日付1988年8月28日 (1988-08-28)
概要空中衝突
現場 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)ラインラント=プファルツ州カイザースラウテルン郡カイザースラウテルン
ラムシュタイン空軍基地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯49度26分18秒 東経007度36分13秒 / 北緯49.43833度 東経7.60361度 / 49.43833; 7.60361
ラムシュタイン航空ショー墜落事故(ラムシュタインこうくうショーついらくじこ、英語: Ramstein air show disaster、イタリア語: Incidente di Ramstein、ドイツ語: Flugtagungluck von Ramstein)は、1988年8月28日にドイツ連邦共和国(西ドイツ)のラムシュタイン空軍基地において発生した航空事故。 1988年8月28日、ドイツ連邦共和国のラインラント=プファルツ州カイザースラウテルン郡カイザースラウテルン近郊の在欧アメリカ空軍ラムシュタイン空軍基地において開催されていたFlugtag '88
概要
事故発生時、地上には約30万人の観客がいたが、空中衝突した機体が観客席の中に墜落し、パイロット3人を含む70人が死亡、346人の観客が爆発や火災による重傷を負い、その他多数の観客が軽傷を負う大惨事となった[1]。
この事故は2002年にウクライナでリヴィウ航空ショー墜落事故(死者77人)が起こるまで世界最悪の航空ショーで発生した墜落事故であった[2]。また、ドイツ国内で発生した航空事故としては1972年ケーニヒス・ヴスターハウゼン墜落事故 (死者156人)、ユーバーリンゲン空中衝突事故 (死者71人) に次いで3番目に死者数の多い事故である。 事故機はイタリア空軍の曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリに所属するアエルマッキ MB-339PANである。 事故当日はMB-339が11機現地入りしており、うち10機がショーのラストに“ピアスハート” (英:pierced heart、伊:Cardioide、独:Durchstosenes Herz) のフォーメーションを組んで飛行していた。このフォーメーションではチームが2グループに分かれ、滑走路に沿って観客の前に大きなハート型を作る。ハート型が完成すると2つのグループは滑走路と平行に通過し、最後に1機がハートの中心を観客の方へ向かって貫く、という飛行を披露する予定となっていた。 事故当日の編隊[3]コールサイン乗員生没年チーム所属年
事故機
Pony 0ディエゴ・ライネリ (地上から指揮)[4]* 1949年1979年 ? 1988年
Pony 1† マリオ・ナルディーニ1947年 ? 1988年1982年 ? 1988年
Pony 2† ジョルジオ・アレッシオ1957年 ? 1988年1985年 ? 1988年
Pony 3ピエルジョルジオ・アコルシ1981年 ? 1989年
Pony 4マウリツィオ・グッツェッティ* 1958年1987年 ? 1991年
Pony 5アントニノ・ヴィヴォーナ1987年 ? 1995年
Pony 6ギアンピエトロ・グロップロ・ディ・トロッペンバーグ* 1948年1982年 ? 1990年
Pony 7ステファノ・ローザ1961年 ? 2008年1988年 ? 1994年
Pony 8ジャンパオロ・ミニスカルコ* 1959年1988年 ? 1996年
Pony 9フランチェスコ・トリコミ1988年 ? 1992年