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ラムザン・アフマドヴィチ・カディロフ
Рамзан Ахмадович Кадыров
Къадирг?еран Ахьмад-Хьаьжин Рамзан
チェチェン共和国
第3代 首長
任期2007年2月15日 –
出生 (1976-10-05) 1976年10月5日(45歳)
チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国ツェントロイ村
政党統一ロシア
宗教イスラム教
署名
ラムザン・アフマドヴィチ・カディロフ(ロシア語: Рамзан Ахмадович Кадыров,チェチェン語: Къадирг?еран Ахьмад-Хьаьжин Рамзан ラテン文字表記の例: Ramzan Akhmadovich Kadyrov, 1976年10月5日 - )は、ロシア連邦内チェチェン共和国の政治家。同国の第3代首長、民警少将、ロシア連邦英雄。2004年5月9日に暗殺されたアフマド・カディロフの息子[1](次男)である。欧米の報道では、チェチェンにおいて個人崇拝の対象となっており、支配しているとされている[2]。また、チェチェンの準軍事組織であるカディロフツィは名前の通り彼の私兵団を兼ねており、政権を維持する暴力装置としても機能している。
日本の報道では朝日新聞のみがカドイロフと表記している。目次 チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国ツェントロイ村(Центарой)に生まれる。1996年より、父アフマド・カディロフの補佐官兼ボディーガードを務めた。 2000年5月12日、爆弾による暗殺未遂を受ける。これに対し、父アフマドはアスラン・マスハドフを非難する。 2001年1月16日にはグデルメス郊外で2度目の暗殺未遂事件が発生。 2002年9月30日、グデルメス地区ノヴォグローズネンスキー村において、ラムザンの車に対して発砲事件が起こる。 2003年7月27日にはクルチャロエフ地区ツォツァン・ユルト村において、自爆テロ未遂事件が発生した。 2003年、父の大統領選出後、大統領保安局長となり、独立派との交渉、武器の連邦軍への引渡しに従事した。2004年、マハチカラ・ビジネス法律大学を卒業。その後、チェチェン内務相補佐官を務め、チェチェン共和国国会議員となった。 2004年5月9日に父が暗殺されると、チェチェン住民の多くはラムザンを大統領に推薦した。しかしながら、共和国憲法によれば、大統領となるには満30歳以上であることが必要であったため、ラムザンは選挙に参加しなかった。 2004年5月10日に第一副首相に就任。同年10月10日より、南部連邦管区ロシア連邦大統領全権代表顧問となる。 2005年11月18日、首相代行に任命。同年12月29日、ロシア連邦英雄の称号が授与された。2006年1月より、ロシアの政権与党・統一ロシアの地域支部書記を務める。 2006年2月28日、首相のセルゲイ・アブラモフがラムザンを次期首相に指名して辞職し、3月4日より首相となった。 2010年8月、「国に大統領は1人だけ」と主張して大統領職の名称変更を提唱。議会の議決により、9月2日より役職名が「首長」(Глава)となる。
1 経歴
1.1 生い立ちと暗殺未遂
1.2 政界
2 受賞・勲章
3 人物
3.1 サッカークラブ会長
3.2 馬主として
4 統制
4.1 LGBTに対する迫害
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
経歴
生い立ちと暗殺未遂
政界