ラブ・ストーリーを君に
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ラブ・ストーリーを君に
監督
澤井信一郎
脚本丸山昇一
原作ディディエ・ドゥコワン
出演者後藤久美子
仲村トオル
三田佳子
佐藤友美
露口茂
緒形拳
音楽朝川朋之
主題歌財津和夫
「ラブ・ストーリーを君に」
撮影仙元誠三
編集西東清明
製作会社東映東京[1]
オスカープロモーション
配給東映洋画[2]
公開 1988年3月5日
上映時間104分
製作国 日本
言語日本語
配給収入5億円[3]
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ポータル 映画
プロジェクト 映画

『ラブ・ストーリーを君に』(ラブ・ストーリーをきみに)は、1988年公開の日本映画東映東京撮影所オスカープロモーション製作、配給東映洋画[2]。原作はフランスの小説家・脚本家のディディエ・ドゥコワン(フランス語版)の1969年の小説『眠れローランス Laurence 』[4]。"元祖国民的美少女"後藤久美子の映画デビュー作[5][6][7]。文部省選定[8]
概要

白血病に侵された少女が元家庭教師(大学山岳部員)の青年に見守られて残された生命を燃やすラブストーリー[9]後藤久美子仲村トオルのダブル主演。後藤・仲村とも役の設定と当時の学年が同じ(後藤は中学2年、仲村は大学4年)であり、等身大の演技を披露した。後藤久美子はこの作品で中学二年生にして映画デビュー。また、それまで非行少年役が多かった仲村トオルはこの作品で同世代の青年を演じ、新境地を開拓したと評価された[10]
あらすじ

主人公の由美は新体操の好きな中学2年生。両親は離婚し、母親(佐藤友美)が料理教室で働きながら由美を育てている。しかし、それでも明るさを失わない活発な少女であった。だが、由美は白血病にかかり、生命予後不良を宣告されてしまう。由美の元家庭教師で大学山岳部員の明(仲村トオル)は由美の母親や主治医(露口茂)に乞われ、しばしば由美の元を訪ねるように。だが、すでに死を覚悟していた由美はそんな周りの人々のやさしさに苛立ちを覚え始め……。
キャスト

後藤久美子:広瀬由美

仲村トオル:上條明

佐藤友美:広瀬友子

柳沢慎吾:荒木欽一

なべおさみ:田中公二郎

河合美智子:今村初美

山下亜紀:姫野咲子

日下由美:愛原真弓

志水希梨子:木俣幸子

三田佳子:小牧京子

高峰三枝子:吉野琴

内田稔:江本敬一

草薙幸二郎:鬼丸信一

伊藤克信:下田清司

ベンガル:上杉剛

戸浦六宏:森田耕造

丘みつ子:田中百合

岸洋子:シャンソン歌手

露口茂:千葉茂樹

緒形拳:中田節夫

藤谷美紀小林トシ江長谷部香苗坂井徹和泉史郎日下翔平 ほか

スタッフ

監督:
澤井信一郎

脚本:丸山昇一

音楽:朝川朋之

指揮:熊谷弘


音楽プロデューサー:高桑忠男、石川光

撮影:仙元誠三

美術:桑名忠之

照明:渡辺三雄

編集:西東清明

録音:橋本文雄

助監督:鹿島勤、大津是、中田秀夫長谷川隆

製作主任:大塚泰之

音響効果:伊藤進一

現像:東映化学

MA:にっかつスタジオセンター

プロデューサー:伊藤亮爾、小島吉弘

企画:黒澤満古賀誠一

製作協力:セントラル・アーツ

製作
企画

東映系列のセントラル・アーツ代表(社長)・黒澤満プロデューサーが、1980年頃から映画化を熱望し[11]、脚本家の丸山昇一に「この原作(『眠れローランス』)を読んでくれ」と原作本を渡し脚本化を頼んでいた[11]。その後も毎年春になると「ローランス、やりたいな」と丸山にボソッと言っていたが[11]、丸山は難病ものが好きでなく、またこのような企画が東映で通るはずもなく乗り気でなかった[11]。しかし年々、黒澤が実績を積み上げ、東映内で影響力を強めていくうち[12]、地味でオーソドックスな話ではあったが、興行的にも成功が期待できるキャスティングを得られたことで、岡田茂東映社長より製作GOの指示が出た[11]
キャスティング

仲村トオルは、当時黒澤プロデューサーが代表を務めるセントラル・アーツ所属の俳優で[13]、黒澤がマネジメントを担当し『ビー・バップ・ハイスクール』で人気俳優になってはいたが、不良役だけでなく、幅広い役柄をこなせる役者になって欲しくて『あぶない刑事』や『紳士同盟』などに起用していた[11][14][15]。本作の大学生役は大変地味だが起用を決めた[11]

まず後藤久美子主役ありきの企画である[16]。黒澤はオスカープロモーション古賀誠一社長と知り合いで、後藤のデビュー時から注目していた[16]。古賀社長の方から黒澤に「久美子の映画をやりたいのだが」と相談を受け、構想していた『眠れローランス』企画が一気に進んだ[16][17]。この段階では、後藤は「国民的美少女」として人気は爆発していたが、まだテレビドラマが少しとCMグラビアの仕事が主で実績はまだなかった[16][17]。ところが後藤が1987年の大河ドラマNHK)『独眼竜政宗』での愛姫役で一躍国民的アイドルとなったことから、東宝や松竹も初主演映画の獲得に乗り出し争奪戦になったが先行する東映に決まった[18]。東映は「人気者・仲村トオルとのコンビで純愛路線を敷き、来年以降、お盆と正月の年二本体制でヤングをひきつけたい」と発表した[18]
脚本

脚本のクレジットは丸山昇一単独であるが、実際は丸山と監督の澤井、プロデューサーの伊藤亮爾の三人で、脚本の構成、ハコ作りが、ほぼ毎日、一か月以上かけて行われた[16]松田優作主演による一連のアクション作品の脚本で知られる丸山は[19]ニューシネマが好きで、最初に薄汚く屈折した青年と、はねっかえりな少女に設定を変えて脚本第一稿を提出したが黒澤につき返された。黒澤は本作を毒を持った人間が一人も出ない映画を基本に考えていた[11]。澤井が黒澤に聞くと「ストーリーはつまらん。これを映画にするつもりはない。面白いのは訳者のあとがきの数行で、これで今までとは違う難病ものに出来ると思う」と伝えた。1977年角川文庫から出た邦訳で訳者の長島良三は「13歳の娘が白血病で数ヶ月後に確実に死ぬとしたら親たちはどうするだろうか?ある親は世界一周の旅に連れていくかもしれないし、ある親は娘のために最後のコンサートを開いてやるかもしれない。『眠れローランス』の母親は娘に恋というものを味わわせてからこの世に別れを告げさせたいと思う」などと書いていた。それまでの難病もの『クリスマス・ツリー』や『ラストコンサート』『別れのこだま』など、親は仕事も何もかも捨てて、子供に付き合い、やりたいことを精一杯与えて死を迎えさせるという結末が多かった。これら過去の作品のベトベトした描写はやめようというところから出発。死ぬということを認めない盲信的なドラマではなく、半年後の死を受け入れ、逆に半年間をどうしてやれるだろうかと考えた人たちの物語に設定すれば、多少は今までと違った難病映画ができるのではないかと話し合った[20]。ベタベタした肉親のスキンシップより恋を持ち込んだ設定は新鮮に感じ、当時14歳、中学2年の後藤久美子の年齢を考えると、恋したことのない少女が与えられた恋を本当の恋として死んでいくのは、ぴったりの設定と考えた[16]。原作の人物配置を変えていないが、母親の職業をグルメブームの初期だったこともあり、料理学校の先生に、後藤を新体操の選手にするなど、当時の流行を取り入れている。後藤が恋する設定の相手は、先に仲村が決まっていたため、仲村の年齢に合わせで、年上の大学生、小学校時代の家庭教師で、娘が慕っていたという設定に決めた。余命半年だと東京を中心とした自宅と病院を中心としたドラマになり、物語の幅が広がらないため、二人で山に行くというシーンを考え、仲村を山岳部の部員にした。丸山の意見は澤井と伊藤にほぼ却下されたというが、本作を切っ掛けに「今まで鼻も引っかけなかった映画評論家ジャーナリストなどから褒められるようになり、今まで来なかったカタいところから、仕事の打診が来るようになった」と話している[11]
撮影

澤井監督は撮影にあたり「後藤さんは究極の美女だが、その仮面を剥がして素顔の彼女を現出させたい」と意欲を見せた[21]。スター映画らしく、後藤久美子にフルートを吹かせたり、和服浴衣レオタードを着せたり、打てる手は打った[17][22]


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