ラブソング
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「ラブソング」はこの項目へ転送されています。その他の用例については「LOVE SONG」をご覧ください。

恋愛歌[1][2](れんあいか)またはラブソング(英語: love song)は、恋愛、恋に落ちること、破局後の傷心(失恋)、そしてこれらの経験がもたらす感情に関するである。

恋愛歌は様々な音楽ジャンルで見ることができる。
歴史

恋愛歌はほとんどの社会の歴史と文化で見られる。「親しいものの間で、恋慕あるいは親愛の情をのべた[3]相聞は、雑歌・挽歌とともに『万葉集』の三大部立を構成する要素の1つである。

知られている中で最古の恋愛歌はシュ・シンの恋愛歌であり、メソポタミアアッシュルバニパルの図書館で発見された[4]。これは恋愛と性愛についての歌である。シュ・シンの歌の発見以前は、ヘブライ語聖書の「ソロモン雅歌」が最古の恋愛歌と見なされていた。
初期の歴史

一般的な意味では、音楽の起源に関してはいくつかの説が存在する。チャールズ・ダーウィンによれば、女と男との間の連れ合いの選択のために音楽が生まれ( 女は音楽的な能力に基づいて男の連れ合いを選択する)、したがって最初の音楽は恋愛歌ということになる。ハーバート・スペンサーは、音楽は情熱的な雄弁さから発展し、音楽は感情の表現として生じると考えた[5]

古代ギリシア文明において、音楽は婚礼で必ず作られた。ムーサの1柱であるエラトーは恋愛歌の女神である。しかし我々の知識は神話や花瓶の絵から得られたものであり、音楽に基づくものではなかった。東ローマ帝国で記譜法(ネウマ譜)が発展したのは9世紀のことで、五線譜が作られたのは11世紀頃である。グルートゥーズ写本のFol. 28r。右下に歌「エギディウス、あなたはどこへ(英語版)」が記されている。
中世の音楽「ミンネザング」も参照

ドニ・ド・ルージュモンの『Love in the Western World〈西洋世界における愛〉』では、恋愛歌の起こりについて非常に論議を呼ぶ、驚くべきな説明が記されている[6]。ド・ルージュモンの説は、恋愛歌は吟遊詩人の宮廷恋愛歌に起因し、これらの歌は歴史的なキリスト教の愛の概念の拒絶を表していた、というものである。

中世の恋愛歌は中高ドイツ語で「Minnelied」と呼ばれ、トルバドゥールオック語)またはトルヴェールオイル語)による宮廷恋愛歌(chant d'amour courtois)である。貴族の満たされず、手が届かない宮廷愛がしたがって中心である。淑女の崇拝も繰り返し語られる主題である。想いを寄せる女性に拒絶されたことを残念に思う男性や、十字軍に赴いている主の不在を残念に思う淑女といった数多くの人物も繰り返し登場する。寛大さ、登場人物の気高さ、新たな経験への受容力、美しさと外見への関心もよく目にする主題である。14世紀のマネッセ写本にはブラバント公ジャン1世アキテーヌ公ギユーム9世のような公による恋愛歌が含まれている。

中期オランダ語で書かれ、1400年頃にブルッヘで編纂されたグルートゥーズ写本(英語版)には147曲の歌が収められており、その中には楽譜付きの数多くの恋愛歌が含まれている。グルートゥーズ写本は数人の叙情詩人による作品であるが、ほとんどの作者は不明である[7]
ルネサンス期

フランチェスコ・ペトラルカは彼の愛するラウラに366篇の詩を詠み、これらは『カンツォニエーレ(英語版)』と題された詩集にまとめられている。これらの詩にはクラウディオ・モンテヴェルディオルランド・ディ・ラッソギヨーム・デュファイらが曲を付けた。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}"Je crois entendre" (I Hear as in a Dream)Sung by Enrico Caruso in 1904 (3:09)"Romance de Nadir" (encore of "Je crois entendre")Sung by Joseph Rogatechwsky in 1928 (3:26)これらの音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef