ラファイエット・マクローズ
Lafayette McLaws
1821年1月15日-1897年7月24日(76歳没)
ラファイエット・マクローズ将軍
生誕ジョージア州オーガスタ
死没ジョージア州サバンナ
軍歴1842年-1861年(USA)
1861年-1865年(CSA)
最終階級大尉(USA)、少将(CSA)
戦闘
南北戦争
七日間の戦い
メリーランド方面作戦
ハーパーズ・フェリーの戦い
アンティータムの戦い
フレデリックスバーグの戦い
チャンセラーズヴィルの戦い
ゲティスバーグの戦い
ノックスビル方面作戦
墓所ローレルグラブ墓地
ジョージア州サバンナ
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ラファイエット・マクローズ(英: Lafayette McLaws、1821年1月15日-1897年7月24日)は、アメリカ陸軍の軍人であり、南北戦争の時は南軍の将軍だった。 マクローズはジョージア州オーガスタで生まれた。1842年に陸軍士官学校を同期56人中48番目の成績で卒業した[1]。米墨戦争、西部辺境およびモルモン教徒の蜂起を抑圧したユタ戦争には歩兵士官として従軍した。ミズーリ州ジェファーソン兵舎にいる時にザカリー・テイラー将軍の姪、エミリー・アリソン・テイラーと結婚し、後のアメリカ連合国に付いたリチャード・テイラー将軍やジェファーソン・デイヴィス大統領とは義兄弟になった[1]。 南北戦争が始まると、アメリカ陸軍の大尉を辞任し、南軍の少佐に任官された。直ぐに第10ジョージア歩兵連隊の大佐に昇進した。さらに直ぐに旅団および師団を指揮する准将に昇進し、七日間の戦いに参戦し、1862年5月23日には少将になった[1]。マクローズは北バージニア軍ジェイムズ・ロングストリートの第1軍団で第1師団長となり、この戦争の大半でロングストリートと共に行動した。 1862年、ロバート・E・リー将軍のメリーランド方面作戦のとき、マクローズの師団は軍団の残りとは別れ、ストーンウォール・ジャクソン少将と共に活動し、ハーパーズ・フェリーの戦いではメリーランド高地を占領した。その後師団と共にメリーランド州シャープスバーグに進軍しアンティータムの戦いではウェストウッズを守った。リーはマクローズ師団が戦場に遅く到着したことに失望した。フレデリックスバーグの戦いではメアリーズハイツを守る師団の1つになり、その猛烈な防御努力でリーを満足させられた。 チャンセラーズヴィルの戦いでは、ロングストリート軍団の残りがサフォーク近くでの任務に派遣されている間、マクローズは直接リーの指揮下で戦った。1863年5月3日、リーはマクローズの師団をリー軍の背後に迫っている北軍ジョン・セジウィック少将の第6軍団を止めるために派遣した。マクローズはこれを成し遂げたが、リーはマクローズがより積極的に攻撃せずセジウィックの軍団に損害を与えられなかったうえに、ラッパハノック川を渡って逃亡させたことで不満だった。チャンセラーズヴィルでジャクソンが致命傷を負ったために、リーはその軍隊を再編し、ロングストリートは新しい2人の軍団長の1人にその部下達を推薦したが、リーがリチャード・イーウェルとA・P・ヒルを選んで失望させられた。マクローズは転属を希望したが容れられなかった。 ゲティスバーグの戦いの2日目である1863年7月2日、マクローズは第2師団を指揮しており、北軍左翼に対するロングストリートの大規模攻撃に参加した。
初期の経歴
南北戦争
1861年-1862年
1863年-1865年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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