ラトランド
City of Rutland
ラトランド中心街の歴史地区
愛称 : 大理石の都市
位置
バーモント州内のラトランドの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度36分32秒 西経72度58分47秒 / 北緯43.60889度 西経72.97972度 / 43.60889; -72.97972
ラトランド(ラットランド、英: Rutland)は、アメリカ合衆国バーモント州の都市。ラトランド郡の郡庁所在地である[2]。人口は1万5807人(2020年)。市域は別の自治体であるラトランド町に完全に取り囲まれている。中心街の歴史地区はアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。マサチューセッツ州から100キロメートル北、ニューヨーク州からは30キロメートル東にある。 オッター・クリーク沿いのラトランドとなった地域はラトランド町の中のミル・ビレッジと呼ばれる小さな集落として1800年代初期に始まった。そこを取り囲むラトランド町は1761年にニューハンプシャー植民地知事ベニング・ウェントワースが第3代ラトランド公爵ジョン・マナーズに因んで名付けていた[3]。19世紀初期に高品質の大理石の小さな堆積がラトランドで発見され、1830年代には完全に近い大理石の大きな堆積が、現在のウェストラトランドで見つかった。1840年代までに小さな会社が掘削を始めたが、大理石の採石で利益が出ることがわかったのは1851年に鉄道が開通してからだった。同じ頃にイタリアのトスカーナ州カッラーラの有名な採石場がその掘削深さが深いためにほとんど採石できなくなったので、ラトランドは世界でも有数の大理石生産地になった[3]。 このことで町の成長と投資が加速され、1886年には町の中心部がラトランド・ビレッジとして自治体化された。町の大半は大理石の堆積地の大半を含むウェストラトランドやプロクターとして分離された。1892年11月18日にはラトランドがバーモント州3番目の都市として市制を布いた。新しい市の初代市長はジョン・A・ミードであり、1893年に1期だけ務めた[4]。 1894年、ラトランド地域で国内初のポリオの発生が報告された。ラトランド地域の132人が感染した。7人が死亡し、110人が何らかの麻痺を残した。55人はラトランド市内の住人だった[5]。 1903年、ラトランド市が出した武器の携行を制限する条例が、「バーモント州対ローゼンタール事件」に対するバーモント州最高裁判所判決につながり、許可あるいは免許無しに武器を携行することに保護を行うことになった。
歴史