ラッセルの逆理
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ラッセルのパラドックス(: Russell's paradox)とは、素朴集合論において、自身を要素として持たない集合全体からなる集合の存在を認めると矛盾が導かれるというパラドックスバートランド・ラッセルからゴットロープ・フレーゲへの1902年6月16日付けの書簡においてフレーゲの『算術の基本法則』における矛盾を指摘する記述に現れ[1]、1903年出版のフレーゲの『算術の基本法則』第II巻(: Grundgesetze der Arithmetik II)の後書きに収録された[2]。なお、ラッセルに先立ってツェルメロも同じパラドックスを発見しており、ヒルベルトフッサールなどゲッティンゲン大学の同僚に伝えた記録が残っている[3][4]

ラッセルの型理論階型理論)の目的のひとつは、このパラドックスを解消することにあった[5]
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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「それ自身を要素として含まない集合」を「 M {\displaystyle M} 集合」とし、「すべての M {\displaystyle M} 集合を成分とする集合 R {\displaystyle R} 」を作ってみる。そうすると、「任意の集合 X {\displaystyle X} 」に関しては、「 X {\displaystyle X} は R {\displaystyle R} に含まれる」?「 X {\displaystyle X} は X {\displaystyle X} に含まれない」という定式が成り立つ。そして特に X {\displaystyle X} = R {\displaystyle R} とすれば、「 R {\displaystyle R} は R {\displaystyle R} に含まれる」?「 R {\displaystyle R} は R {\displaystyle R} に含まれない」となり、パラドックスが明示される。

集合は事物とは違った存在の仕方をしており、世界を構成する存在者ではなく、論理的虚構にすぎず、そこには階型の違いがある。よって「集合がそれ自身の要素であるかどうかの問いの全体」が、「真でも偽でもなく」むしろ「無意味」「意味のない雑音」であった。集合とは、後の「記述の理論」があきらかにする意味で不完全記号である。「集合」「数」の指示するものが「スコラプラトン的な意味」で「無時間的に存在」すると考えてはならないとラッセルは気付いた。事物の存在の次元と集合の語られる次元とは混同されてはならず、或る階型の対象に真偽を言えても、異階型の対象には有意味には言えない。我々は何らかの性質を有意味には命題一般には帰属させ得ず、ただ特定の次元の命題に有意味に帰属させうるのみである(ラッセルの階型理論)。

集合論が形式化されていないことが矛盾の原因なのではなく、このパラドックスは、古典述語論理上の理論として形式化された無制限の内包公理を持つ素朴集合論や、直観主義論理上の素朴集合論においても生じる。したがって論理を古典論理から直観主義論理に変更してもラッセルのパラドックスは回避できない。パラドックスの回避については、様々な方法が提案されている。詳細は矛盾の解消を参照。
矛盾の解消

公理的集合論によって何をもって集合とするかについての形式的な整備が進められ、素朴(だが超越的)な R {\displaystyle R} の構成を許容しない体系が構築された。

公理的集合論ではまず集合論を形式化する。次にいかなる形の集合が存在するかを公理によって規定する。例えば素朴集合論では、上のような集合の存在を保証するために次の内包公理を置いた:任意の性質 P ( x ) {\displaystyle P(x)} に対して、 P ( x ) {\displaystyle P(x)} を満たす元 x {\displaystyle x} の集合 { x 。 P ( x ) } {\displaystyle \{x|P(x)\}} が存在する

しかしながら、内包公理からは、上述のとおり、 R = { x 。 x ∉ x } {\displaystyle R=\{x|x\notin x\}}

が構成でき、パラドックスが発生する。したがって、集合論の公理は通常の数学を集合論の上で展開するために十分なだけの集合の存在を保証しつつ、パラドックスを発生させる集合は構成できないように慎重に設定する必要がある。
1.公理的集合論による解消[注 1]
具体的には内包公理を次の分出公理に弱める(ツェルメロによる版)。


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