ラッキィ池田
本名池田 新一(いけだ しんいち)
生年月日 (1959-10-25) 1959年10月25日(64歳)
出身地 日本・東京都墨田区
血液型B型[1]
身長170 cm(2005年時点)[1]
言語日本語
方言共通語
最終学歴獨協大学法学部中退
相方サッシィ池田
ラッキィ池田(ラッキィいけだ、本名:池田 新一(いけだ しんいち)、1959年10月25日 - )は、日本の振付師、タレント。東京都・墨田区出身。東京都立江戸川高等学校卒業、獨協大学法学部中退。 映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に影響を受けてディスコ通いを始める。20歳の頃、柴田恭兵が在籍していた劇団『東京キッドブラザース』のミュージカルを観劇し、その舞台に感動した影響で本格的にダンスに目覚める。そこから自己流のダンスを確立し、鈴木晋介らと小劇団で俳優としても活動。 1984年『スネークマンショー』のオーディションに合格しダンサーとしての出演。更に彼らの「楽しいテレビ」の振り付けを行い、振付師としてのキャリアを始める。また翌1985年に手塚眞監督の映画『星くず兄弟の伝説』で、俳優としてもデビュー。1986年には森雪之丞のプログレッシブ・ダンス・バンドユニット「マイティ・オペラ」に参加。ボーカル兼ダンサーとして注目を集める。 その後芝居やコント、音楽ユニット「リーマンズ」(パール兄弟のバックダンス・チーム)など多岐に活動し、この頃共演する機会があった関根勤と交友を得て、関根と小堺一機(コサキン)のラジオ番組に登場し、その独特なキャラクターとラジオでダンスをするという破天荒なパフォーマンスがうけ、更に1989年、アーノルド・シュワルツェネッガーがヤカンを持って踊る日清食品『カップヌードル』のTVコマーシャルや、自身がテレビに登場する際の奇抜なファッションが注目されブレイク、独特のキャラクターのタレントとしてバラエティ番組に多数出演した。 現在でもラジオリポーターや関根主宰の『カンコンキンシアター』などでタレント活動を行っているが、本業であるTV番組・コマーシャルや舞台などの振り付けにも力を入れている。 また吉本総合芸能学院(NSC)講師も務めており、オリエンタルラジオやエド・はるみ、8.6秒バズーカーをはじめゴールデンボンバーのボーカル・鬼龍院翔、しずる、はんにゃ、2700、パンサーらが教え子にいる[2]。
経歴
人物
芸名は「ラッキー」ではなく「ラッキィ」が正しい。姓名判断で「ラッキー池田」では身を滅ぼす、と言われたため画数を変えたという。
関根やルー大柴の親友で『カンコンキンシアター』のメンバーであるため、よく関根やルーらと同じ浅井企画所属のタレントだと誤解されがちだが、浅井企画に所属したことはない(1994年頃まではパパドゥ、1995年から2005年4月まではオスカープロモーションにそれぞれ所属し[3][1][4]、その後はフリーで活動)。
かつては「振り付け仮面」というキャラクターを演じたこともある。
独特の服装である「ラッキィ池田ルック」は子供用のゾウさんのじょうろを頭上に乗せて紐で縛りつけ、ヘビのおもちゃを体に付けて、白いハイソックスを穿き「ギャッフーン!気になるよぉー!」と言いながら踊りまくる。頭にじょうろをつけたのは、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」がきっかけで、たくさんの芸人の中から自分を見つけるランドマークで着けたのが理由だという[5]。