ラス・バラード
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ラス・バラード
Russ Ballard
O2アリーナでのリッチー・ブラックモアズ・レインボー公演にゲストで登場したラス・バラード (2017年)
基本情報
出生名Russell Glyn Ballard
生誕 イングランド
ハートフォードシャー州 ウォルサム・クロス
(1945-10-31) 1945年10月31日(78歳)
ジャンルロック
ハードロック
ヘヴィメタル
ポップ・ロック
AOR
職業ミュージシャンヴォーカリストソングライター
担当楽器ヴォーカルギターキーボード
活動期間1960年 -
共同作業者アージェント

ラス・バラード (Russell Glyn Ballard、1945年10月31日 - ) は、イギリス出身のミュージシャンソングライター。70年代前半に、元ゾンビーズのロッド・アージェントが結成した「アージェント」のメンバーとして活躍。アージェント脱退後は、ソロアーティストに転向。レインボーのヒット曲「アイ・サレンダー」や「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」、キッスの「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」などのソングライターとして知られる。
経歴

1945年10月31日、イギリス・ロンドンから20キロ北に位置するハートフォードシャー州のウォルサム・クロスに生まれる。バラードの父はダンスバンドのリーダーでドラムを担当、母はダンサーで、兄はキーボードを演奏する音楽好きな家庭環境で育つ。両親はバラードに8歳から12歳までピアノのレッスンを習わせていた[1]

12歳のとき、投石が右目に当たり、3年間で10回の手術も甲斐なく失明する[1]。その後、両親からエレキギターアンプを購入してもらったバラードは、友人たちと「リック・ニコル & ザ・レベルズ」というバンドを結成する。さまざまな地元のコンテストに出るようになり、あるコンテストでボブ・ヘンリットというドラマーと知り合う。バラードとヘンリットは、デイヴィッド・"バスター"・メイクルというヴォーカリストに出会い、1961年に「バスター・メイクル & ザ・デイブレーカーズ」を結成する。この頃からバラードは自作の曲を書きはじめる[1][2]

1962年、ヘンリットが当時イギリスの人気ロック歌手だったアダム・フェイスのバック・バンド「ルーレッツ」に加入するためデイブレーカーズを脱退する。その数か月後、バラードもギタリスト兼ピアニストとしてルーレッツに加入する。デイブレーカーズ解散後、メイクルは4人組のフォーク・グループ「ユニット4」を結成しており、バラードとヘンリットはアダム・フェイス & ザ・ルーレッツでの活動の傍ら、ユニット4のレコーディングに参加する。バラードとヘンリットが参加して「ユニット4+2」名義でリリースされた「コンクリート・アンド・クレイ」は1965年に全英1位・全米28位を記録している[1][2][3]

アダム・フェイス & ザ・ルーレッツは「The First Time」(1963年、全英5位)、「We Are in Love」(1963年、全英11位) などのヒット曲を出していたが[4]、アダム・フェイスが俳優活動を重点に置くようになると、ルーレッツは他のシンガーのバックを務めるようになる。1967年にルーレッツが解散すると、バラードはヘンリットとともにユニット4のツアーへの参加や、セッション・ミュージシャン兼ソングライターとしての活動を始める[2]

1969年、元ゾンビーズのロッド・アージェントから、彼の従兄弟であるジム・ロッドフォードと計画していた新しいグループへの参加を要請され、バラードはギタリスト兼ヴォーカリストとして、ヘンリットとともに「アージェント」に加入する。アージェントは「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」(1972年、全英5位・全米5位)、「トラジディ (悲劇)」(1972年、全英34位)、「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー」(1973年、全英18位) といったシングル・ヒットを放っている[5][6]。このうち、「トラジディ (悲劇)」と「ゴッド・ゲイヴ?」はバラードの作品である。また、アージェントのデビュー・シングルとなったバラード作の「ライアー」はスリー・ドッグ・ナイトがカヴァーし、1971年に全米7位を記録している[7]。「ゴッド・ゲイヴ?」は、キッスが「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」として歌詞を変えて制作したものが映画『ビルとテッドの地獄旅行』のサントラに使用され、1991年にシングルリリースされている。

アージェントでは5枚のスタジオアルバム制作に参加する。バンドの音楽性がジャズ寄りになり過ぎていると感じたバラードは、1974年にアージェントを脱退する[1]。同年、CBSレコード (エピック・レコード) とソロ契約を結び、ファースト・アルバム『ラス・バラード』をリリース。以降、ソロアーティストとして活動している。

バラードの楽曲は多くのアーティストに取りあげられている。代表的なものとして、「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」(レインボー)、「アイ・サレンダー」(レインボー)、「ニューヨーク・グルーヴ」(ハロー、エース・フレーリー)、「風のマジック」(アメリカ)、「ウィニング」(サンタナ) などがある。他にも、ABBA解散後のフリーダアグネタの各ソロ作、ザ・フーロジャー・ダルトリーポインター・シスターズなどにも楽曲を提供している。またプロデューサーとして、レオ・セイヤー (アダム・フェイスがマネージメントを担当していた) やロジャー・ダルトリーの作品のプロデュースを行っている[1][2]
他アーティストに提供・カバーされた主な楽曲

曲アーティスト収録アルバム備考
「カッコー鳥」
Are You Cuckoo?
ベイ・シティ・ローラーズ青春に捧げるメロディー (Dedication)』(1976年)
「キャント・シェイク・ルース」
Can't Shake Looseアグネタ・フォルツコグ『ラップ・ユア・アームズ (Wrap Your Arms Around Me)』(1983年)全米29位
「キャント・ウィ・トーク・イット・オーバー」
Can't We Talk It Overレスリー・マッコーエン『栄光の凱旋 (Heart Control)』(1982年)
「ドリーム・オン」
Dream Onキング・コブラ『街角のスリル (Thrill of a Lifetime)』(1986年)
「フリー・ミー」
Free Meロジャー・ダルトリー『マックヴィカー』(1980年)
ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー


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