ラスベガス・ストリップ
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ラスベガス・ストリップ
ザ・ストリップ
ラスベガス・ブールバード南
地図

左上から反時計回りに、夜のラスベガス・ストリップ、「素晴らしきラスベガスにようこそ」標識、シーザーズ・パレス、トロピカーナとラスベガス・ブールバード交差点から北を望む、ベネチアン、トロピカーナとラスベガス・ブールバード交差点、昼のラスベガス・ストリップ
路線延長6.8 km
起点サハラ・アベニュー
主な経由国 アメリカ合衆国
終点ラッセル道路
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

ラスベガス・ストリップ(Las Vegas Strip)は、アメリカ合衆国ネバダ州クラーク郡にあるラスベガス・ブールバード(大通り)の中で長さ約4.2マイル (6.8 km) にわたる部分を指す名称である。ラスベガス市に隣接するがその市域には入っておらず、パラダイスとウィンチェスターと呼ばれる未編入の町の中に位置している。通りの大半はオールアメリカン道路に指定されてきた[1]

世界でも最大級のホテルカジノおよびリゾート資産の多くがこのラスベガス・ストリップに並んでいる。客室数で世界の25傑に入るホテルのうち19がこのストリップに並び、客室総数は67,000を超えている。19ホテルの1つであるラスベガス・ヒルトンは「オフストリップ」(通り沿いではない)にあるが、ストリップからは0.5マイル (800 m) も離れていない。

ラスベガスの都市景観で最も目に付く様相は建物外観である。ストリップ沿いにあるホテル、カジノ、レストランおよび高層住宅が近代化され、最も人気のある観光地の一つとしてその地位を確立してきた[2]
領域2009年のラスベガス・ストリップ

歴史を見ると、ラスベガス市中心街のフレモント・ストリートに立地しないカジノは、市域を外れラスベガス・ブールバード沿いに制限されてきた。1959年、「素晴らしきラスベガスにようこそ」という標識が市域の外、4.5マイル (7.2 km) ちょうどの地点に建てられた。この標識の位置は一連の市街地南端のカジノであるマンダレイ・ベイ南入口の約0.4マイル (640 m) 南になっている。

厳密な意味で「ストリップ」はラスベガス・ブールバードの中で、おおまかにサハラ・アベニューとラッセルロードの間、延長で4.2マイル (6.7 km) にのみ当てはまる[3][4]。しかし、この言葉は道路だけでなく、道路沿いに並ぶ様々なカジノやリゾートにも適用され、さらには道路に面していなくてもその付近にある施設にも適用されている。ネバダ州ゲーム委員会のような特定政府機関は報告書を書くために「ラスベガス・ストリップ」としてこれら施設を分類している。ただしこの定義では、ハードロック・ホテル・アンド・カジノのようにラスベガス・ブールバードから1マイル (1.6 km) あるいはそれ以上離れた施設も含んでいる。「ストリップ地域」、「リゾート・コリダー」あるいは「リゾート地区」といった言葉は地理的にさらに大きな範囲を指すときに使われることがある。

ネバダ州ゲーム委員会はストリップの北端をサハラ・アベニューと考えている。一時期、南端はトロピカーナ・アベニューだったが、建設が進んでラッセルロードまで伸びてきた。マンダレイ・ベイがラッセルロードの直ぐ北に建っており、ネバダ州ゲーム委員会がストリップ沿いにあると考える最南端となっている。

リゾートの数と大きさ故に、リゾート・コリダーは極めて幅広いものと成りうる。州間高速道路15号線がラスベガス・ブールバードとほぼ並行に0.5マイル (800 m) 西を走っている。またパラダイスロードが同様に東側に並行して走り、セントルイス・アベニューが終端になっている。ストリップの東側は、トロピカーナ・アベニューの南でマッカラン国際空港によって切られている。この地点より北側では、リゾート・コリダーが東のパラダイスロードまで拡がっていると考えられるが、それよりも手前にあるコバル・レーンを境界と考える者もいる。州間高速道路15号線の同215号線とのインターチェンジからスプリングマウンテンロードまでがリゾート・コリダーの西側境界と考えられることがある。それより北ではインダストリアルロードが西の境界になっている。

ネバダ州ゲーム委員会はラスベガス・ブールバード南のラッセルロードからサハラ・アベニューまでに位置する全てのリゾート施設、さらにラスベガス・ブールバードには直接面していない近くの施設幾つかを含めて「ストリップ賭博地域」を定義している。この中にはリオ・ホテルパームズ・ホテルなどラスベガス・ブールバードと州間高速道路15号線の西にある小型のリゾート施設を含むが、さらに1ブロック西にあるオーリンズ・ホテルは含めない。ラスベガス・ブールバードの東、パラダイスロード沿いにある施設、例えばラスベガス・ヒルトン、テリブルズ・カジノ及びウェスティン・カジュアリーナ・ラスベガス・ホテル・カジノ・アンド・スパ、フーターズ・カジノ・ホテルおよびハードロック・ホテル・アンド・カジノはこの定義域に含まれている。しかし、ストラトスフィア・ラスベガスはサハラ・アベニューより北にあるために定義域に含まれない。

有名な「素晴らしきラスベガスにようこそ」という標識がラッセルロードの直ぐ南の中央分離帯に建っている。ここは昔クロンダイク・ホテル・アンド・カジノがあった。これと似たような標識はストリップの北端、セントルイス・アベニュー東とメインストリート南の交差点近くの中央分離帯にも建っている。

ラスベガス・ブールバードの歓迎標識の南8マイル (13 km) にもサウスポイント・ホテルやMリゾートなど新しいリゾート施設が造られている。これらのカジノの宣伝では通常ストリップではなくてラスベガス・ブールバード南部にあると表示している。この地域はサウスストリップと呼ばれることが多い。
歴史ベラージオ・ホテルシーザース・パレスおよびストリップの一部

国道91号線沿いに最初に建設されたカジノは1931年のペア・オ・ダイス・クラブだったが、現在のストリップ沿いでは1941年4月3日に63室でオープンしたエル・ランチョ・ベガスが最初だった。このカジノはほぼ20年間営業されたが、1960年の火事で焼失した。このカジノの成功で1942年に2番目のホテルであるホテル・ラスト・フロンティアが開業した。ニューヨーク市のバグジー・シーゲルのような組織犯罪絡みの人物が成長する賭博産業に興味を持ち、1946年開業のフラミンゴ、1950年開業のデザート・インのようなリゾート施設が続いた。多くのプロジェクトの資金はアメリカン・ナショナル・インシュアランス社から提供された。この会社は当時テキサス州ガルベストンの悪名高い賭博帝国を本拠にしていた[5]

今から数十年前、ラスベガス・ブールバード南はアローヘッド・ハイウェイあるいはロサンゼルス・ハイウェイと呼ばれていた。ストリップという名前はロサンゼルス市警察のガイ・マカフィーがその故郷のサンセット・ストリップに因んで名付けたとされている[6]

1968年、カーク・カーコリアンがフラミンゴを買収し、サハラ・ホテルの副社長アレックス・シューフィーを社長として起用した。シューフィーはサハラの重役のうち33人を連れてきた。フラミンゴは当時建設中だったインタナショナル・ホテル従業員の訓練に使われた。1969年に開業したインタナショナル・ホテルは客室数1,512もあり、大規模リゾート時代の幕を開けた。このホテルは現在ラスベガス・ヒルトンと呼ばれている。

やはりカーコリアンの資産である初代MGMグランドホテル・アンド・カジノは1973年に客室数2,084で開業した。当時、客室数では世界でも最大級のホテルだった。例えば1967年にモスクワに建設されたホテル・ロシアの客室数は3,200だったが、その大半は面積118平方フィート (11 m2) のシングルルームであり、MGMグランドホテルの標準的室面積のほぼ4分の1に過ぎなかった。1980年11月21日、MGMグランドホテル・アンド・カジノはラスベガスの歴史の中でも最悪の火災を起こし、87人が死亡した。このホテルは8か月後に営業を再開した。1986年、カーコリアンはMGMグランドホテルをバリー・マニュファクチャリングに売却し、現在はバリーズ・ラスベガスと呼ばれている。(その後、カーコリアンは別の場所に新たなMGMグランドを建設した)

1985年、ウェットンワイルド(幾つかのプールを中心としたテーマパーク)がサハラ・ホテルの南側に開業した。この遊園地は2004年末に閉鎖され、後に解体された。夜のラスベガス・ストリップ、左手前は当時のアラディン(現プラネットハリウッド)

1989年のザ・ミラージュの開業により、小さなホテルとカジノがより大型のリゾート施設に道を譲る新しい段階に入った。この巨大施設では娯楽や食事が楽しめ、ギャンブル、宿泊ができる。この変化によってザ・デューンズ、ザ・サンズ、スターダストおよびサハラのような有名で歴史があるが小さなホテル・カジノが影響を受けた。

1995年、ディーン・マーティンが死んだ時、弔意を示すためにストリップ沿いの灯りが消された。これは1998年にフランク・シナトラが死んだ時も繰り返された。2005年、クラーク郡はインダストリアルロードのトウェイン・アベニューから南の部分をディーン・マーティン・ドライブと改名し、この有名なラットパックの歌手にして俳優であり、ラスベガスを度々訪れたエンタテイナーへの献辞とした。またラスベガス・ストリップと州間高速道路15号線の間を平行して走る道はフランクシナトラドライブと名付けられている。

ラスベガスのホテル経営者達は家族連れを惹き付けるために年少者向けのアトラクションを多く提供したが、それは必ずしも成功したとは言い難い。


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