ラージャスターン州
Rajasthan
????????
(インド国内の位置)
基礎情報
国 インド
行政区ラージャスターン州
州都ジャイプル(Jaipur)
面積342,236 km2
人口(2011年)
- 合計68,548,437 人
- 人口密度200 人/km2
時間帯インド標準時(IST)UTC+5:30
公用語ヒンディー語[1]
創立1956年11月1日
州知事カルラージ・ミシュラ
州首相アショク・ジェロット
立法機関(議席数)一院制(200)
略称(ISO)IN-RJ
州公式ウェブサイト ⇒http://www.rajasthan.gov.in
ラージャスターン州(ラージャスターンしゅう、Rajasthan、????????)は、インドで面積が最も大きい州である。州都はジャイプル[2]。ラジャスタン州と表記されることもある[3][4]。 西はパキスタン、南西はグジャラート州、南東はマディヤ・プラデーシュ州、北東はウッタル・プラデーシュ州とハリヤーナー州、北はパンジャーブ州と接している。 州内西部はタール砂漠がある。トラやヒョウが生息する丘陵地帯やジャングルもある[2]。
地理
歴史詳細は「ラージャスターンの歴史(英語版
タール砂漠が砂漠化する前には、インダス文明が栄えていた。州としては1956年に成立した[2]。ラージプーターナーとは、「ラージプート族の地」の意味で、おおむね西北インド、現在のラージャスターン州に相当する地域。
この地で興った王朝には以下のものがある。
チャンデーラ朝
チャンデーラ朝とは、10世紀前半から13世紀末まで北インド、マディヤ・プラデーシュの東部、ブンデルカンド地方にあった王朝。この王朝は、「月」から生まれたクシャトリアの家系とする伝承をもつラージプートの王朝であることと、世界遺産にもなっているカジュラホの寺院群を築いたことで世界的に知られる。
プラティーハーラ朝
プラティーハーラ朝(プラティーハーラちょう、英語:Pratihara dynasty)とは、8世紀後半から11世紀初頭まで、北西インドを支配したラージプートのヒンドゥー王朝(750年頃 - 1018年あるいは1036年)。首都はカナウジ。
パラマーラ朝
パラマーラ朝は、10世紀後半頃??13世紀末まで北インド、ナルマダー川北岸、現マディヤ・プラデーシュ州の西部、マールワ地方に割拠したラージプートの王朝。
チャーハマーナ朝
チャーハマーナ朝は10世紀末から12世紀末まで北インドを支配していたラージプート族の王朝。首都はデリー。プリトヴィーラージ3世
の治世の頃に最盛期であったが、ゴール朝の侵入に対抗し1192年に滅亡した。後継者がランタンボールに逃れて、再興した。13世紀末まで、ラージプーターナー地方(ほぼ現ラージャスターン州にあたる)に、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドにタラーインの戦いに敗れた後に、チャーハマーナ朝の後継者が再興したランタンボールをはじめ、メーワール王国など版図は小さいが強力な王国を築いていたが、ハルジー朝に征服された。しかし、その後のデリー・スルターン朝の弱体化に伴って徐々に独立した。
ラジャスターンという州名も「ラージプートの土地」が語源となったもの。 イスラム勢力と勇敢に戦ったヒンドゥー戦士、ラージプート族の本拠地にもなった。ムガル帝国のアクバルの統治方針は、ラージプートなどの在地勢力を自らの支配層に取り込むため、彼らが所有する領地からの収入を認めるとともに、ヒンドゥーであるラージプート出身の女性を妻とした。