ラジオカセットレコーダー (英語: radio cassette recorder)は、コンパクトカセットテープレコーダー(テレコ)にラジオチューナーを内蔵した音響機器である。一般的に略称でラジカセと呼ばれる。 通常、アンプとスピーカーも備え、オールインワン方式になっている。ほぼ全ての機種で持ち運びが出来るように設計され[1]、上部に折りたたみ式の把っ手がついており乾電池でモバイル駆動を可能にしている。 本項では、ラジオとカセットテープレコーダー機能を併せ持ち持ち運びが容易なオールインワン製品一般を取り扱う。 ラジカセの定義に関して、ラジカセに不可欠なのは次の4点である[2]。1 - ラジオ[2]2 - カセットテープレコーダー[2]3 - アンプ(ラジオ / カセットの切り替え)[2]4 - スピーカー[2] 不可欠ではないが、備わっているのが望ましい性質として次の2つがある[2]。乾電池で(も)作動すること[2]持ち運びできること[2] 登場したての頃は「ラジオ付きテープレコーダー」や「ラジオ付きカセットレコーダー」と呼ばれていた[2]。「ラジカセ」という名称が世間に定着していったのは1970年代後半のことである[2]。 この「ラジカセ」の名称を音響機器メーカーのパイオニア(当時[3])が商標登録しようとしたが却下されたことがある。アメリカでの使われ方の一例(1985年、シカゴで行われた屋外パレードの場において) アメリカなど英語圏では「ブームボックス(ブーンボックスとも。英: boombox)」や「ゲットーブラスター(英: ghettoblaster)」と呼ばれる。楽器編成に指定する場合にもこれらの名称が使われる。 日本の若年層ではラジオカセットレコーダーや可搬型・携帯型カセットレコーダー、携帯型ステレオカセットプレーヤーを「デッキ」と呼ぶことも少なくない。 真空管ラジオまでを含めると、1961年かそれ以前からテープレコーダーの「複合機」は複数の会社[どこ?]から市販されていた[要検証 – ノート]。 ラジカセの前史はオープンリールのテープレコーダーにラジオを搭載させた複合機にまで遡ることができる。日立製作所が1963年にリリースしたベルソーナ TRT-398[4]はオープンリール式テープレコーダーにトランジスタラジオを搭載したもので、トランジスタラジオを組み込んだテープレコーダーとしては国内初の製品である(ただし、これはまだカセットテープを使用したラジカセではなかった)。歴史的に見るとこの複合機のオープンリール部分をカセットテープに置き換えたものがラジカセである[2]。 1960年代当時はカセットテープの規格はいくつかあり互いに競いあっていたが、最終的にはフィリップスのコンパクトカセットが優位にたち、1966年-1967年の日本では、いくつかのメーカーでその方式のテープレコーダーを発売するなど、コンパクトカセット方式への協力体制ができつつあった[2]。 日本ではFM放送が1957年のNHKの実験放送から始まり、民間放送局の実験放送、1960年には民間局の実用実験放送[5]、そして1969年には本放送が始まり、FM受信装置を持っていれば雑音の少ない高音質の放送が聞けるようになった。この状況下でラジカセは誕生した。 松下電器産業(初代法人、現・パナソニックホールディングス)が1967年12月に世界初の、カセットテープレコーダーと2バンドラジオ(FM・AM)を組み合わせた RQ-231[6]を発売。1968年5月にはアイワが国産初の3バンドラジオ(FM・SW・AM)式のTPR-101[7][8]を発売し、海外にも輸出され、ロングセラーになった[2]。どうやらこのあたりがラジカセの歴史のはじまりのようだと考えられている[9]。ソニー CF-1300(当写真は、実質はCF-1300と同一だが、厳密に言うと海外向けのもので型番はCF-300)。FM / AMの2波ラジカセ。モノラル。1970年9月発売。ソニー CF-1700。FM、MW(中波)、SW(短波)の3波ラジカセ。1973年発売。モノラルタイプの機種でスピーカーがひとつ。(2017年東京新宿 猿田彦珈琲ビームスジャパン新宿店にて撮影) 1970年3月にはソニー(初代法人、現・ソニーグループ)が同社初のラジカセ CFM-8120を発売。また1970年代には日立製作所や東京芝浦電気(現・東芝)、日本ビクター(現・JVCケンウッド)、三菱電機、三洋電機、シャープなどの各種家電・音響メーカーも、相次いでラジカセを市場に投入した。この時代はまだすべての機種がモノラル式だった。 本体に内蔵の固定式マイクロフォンを利用して自分の声を録音して後から聞いてみたり、歌や楽器演奏を録音して記録としたり録音テープを人に渡すことができ、テレビの前にラジカセを置いて音声のみを録音することもあった(ビデオデッキはまだなかった)。最初のころは外部入力端子が無い機種も多く、テレビのスピーカ音声を直接内蔵マイクで録音したので、静かにしないと声や物音まで録音されてしまう欠点があった。外部入力端子を搭載した機種が増え、接続用コードも一部の店舗に並ぶようになったが、テレビ側の仕様でイヤホンジャックに接続用コードを差し込むとテレビのスピーカの音声がキャンセルされるのが一般的で、使いづらかった[注釈 1]。ライン入力端子付きのものでも、ボリュームレバーで録音音量とスピーカー音量がともに変化してしまい音量設定が難しいラジカセがある一方で、録音音量が一定なのとは別にスピーカー音量をコントロールできるラジカセもあって、カタログにその仕様も書いていない機種も多く、ハードルは高かった。そして当時はそもそも接続コードの入手もそれなりにハードルが高かった。[注釈 2] コンポーネントステレオのカセットデッキでは高音質化が1960年代から進み始めていたが、ラジカセの高音質化が行われたのは1970年代になってからだった[2]。ソニー スタジオ1980 II(マーク・ツー)。CF-1980 II。1976年発売。FM、MW、SWの3波のラジカセ。モノラルだが、音質を良くするためにツーウェイスピーカー(低音用ウーファーと高音用のツイーター)を搭載[10]。1970年代後半や1980年代の日本製のさまざまなラジカセを展示した棚。一番下の段の左から2つ目あたりにソニーの「スタジオ1980」が見える。上の写真の「ソニー スタジオ1980 II(マークツー)」はこのスタジオ1980を進化させた機種。[11] 1970年代の日本ではBCLが流行し、ソニーのラジオ「スカイセンサー」などで海外放送を受信しベリカードを収集することが社会現象化していた[2]。
概要
定義
呼称
歴史
前史
ラジカセの登場
高音質化。エアチェックや生録の流行
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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