ラジオ体操
ジャンル体操番組
放送期間1928年11月1日-1947年8月31日、1951年5月6日-[1]
放送局NHKラジオ第1
NHKラジオ第2
NHKワールド・ラジオ日本
制作報道局スポーツ業務管理部・NHKグローバルメディアサービス[1]
テーマ曲ラジオ体操の歌
公式サイト公式サイト
テレビ体操
ジャンル体操番組
製作
制作NHK
放送
音声形式ステレオ放送[2]
放送国・地域 日本
放送期間1957年10月7日 - 放送中
放送分5/10分
公式ウェブサイト
早朝放送
放送チャンネルNHK Eテレ
放送時間毎日 6:25-6:35
午前中放送(みんなの体操)
放送チャンネルNHK総合
放送時間月曜-金曜 9:55-10:00
午後放送
放送チャンネルNHK総合
放送時間月曜-金曜 13:55-14:00
特記事項:
1966年1月よりカラー化[3]
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ラジオ体操(ラジオたいそう)は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操、または、その体操用音楽をピアノ伴奏にのせて指導を行うラジオ番組。
本項目では特に断らない限り、日本放送協会(NHK)で1928年に放送が開始されたラジオ番組並びに同番組で紹介される体操について扱うと共に、(体操としての)ラジオ体操を取り扱うテレビ番組である『テレビ体操』(1957年10月7日放送開始[4])についても記す。なお、1999年に制作され、同年から「ラジオ体操」「テレビ体操」の番組内で紹介を開始した『みんなの体操』の詳細については同項目も参照のこと。
概要が放送しており[5]、1925年までに世界初の商用ラジオ放送局として知られるピッツバーグのKDKAはじめ、ドイツなどでも同様の放送があったという[6]。日本では、1928年8月1日から1か月間、日曜を除く毎朝6:00から、社団法人日本放送協会大阪中央放送局が放送したのが最初であるが、既にあった徒手体操を指導員の号令のみで行い、伴奏はなかった[7]。
のちにつながる日本のラジオ体操は、アメリカのメトロポリタン生命保険会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、1925年4月から広告放送として放送されていたラジオ体操番組 Tower Health Exercise が基となっている。[5]
放送開始に先立つ1923年に保険事業に関する調査のため訪米した逓信省簡易保険局監督課長・猪熊貞治がメトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、1925年7月に『逓信協会雑誌』で紹介した。猪熊は1927年8月、簡易保険局の会議において昭和天皇即位を祝う事業としてラジオ体操を提案[8]。1928年5月24日に簡易保険局、日本生命保険会社協会、日本放送協会の三者が体操の考案を文部省に委嘱した[9]。文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを委員として検討を重ね[10]、10月29日に国民保健体操の名称で発表、同年11月1日7時00分に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局で放送を開始した。振り付けは郵便局員が全国に周知した。
初代の担当者は、陸軍戸山学校軍楽隊の三等楽長(少尉相当)から番組専属のアナウンサーに転じた江木理一[11][12]。
なお、資料によっては翌1929年2月12日から全国放送が実施された[11] とされるが、前述の大阪中央放送局のほか、名古屋中央放送局で同時刻に独自の体操番組を放送していたことがあり、江木の放送が全国放送として定着した時期は1934年以降であるとされる[13]。1938年には簡易保険局を厚生省に移管。
1939年2月、全国ラジオ体操の会を結成。同年9月、厚生省は、国民体力向上に向けて旧ラジオ体操第3を発表し、12月には旧ラジオ体操第三を放送した。 ラジオ体操普及の「実働部隊」として、傘下に各地の連盟を置き、かんぽ生命保険やNHKなどと協力してラジオ体操普及のための活動を行う。 前述「全国ラジオ体操の会」の実質的後身組織として、1962年に発足。平成期の各種法人制度改革により「特定非営利活動法人」(NPO法人)となった。 組織としては法令に則り「理事会」が最上位組織として置かれ、2024年の時点ではCEOに相当する組織トップの会長に元インドアバレーボール日本代表の荒木田裕子が就いている。またCOOに相当する執行役トップの理事長は、近年NHKで指導にあたった指導チーフが就任するのが慣例になっていて、2020年、青山敏彦から多胡肇に交代[14]。なお多胡はこれも一因となって後に放送での指導から退き、以降指導者は男女1人ずつとなっている。また組織改革として、2023年には従前の引退者だけでなく現役の指導アシスタント(この時は女性だけ)が「指導委員」として会の活動に加わることになった[15]。 以下はラジオ体操の歴史を分かりやすく表にしたもの。 1916年 (大正5年)逓信省が国営の簡易保険事業を始める。 (大正12年)5月逓信省簡易保険局の猪熊貞治監督課長が海外の保険事業の視察に派遣される。 (大正14年)3月ラジオ放送による健康体操がアメリカの生命保険会社で行われる。 「国民の健康保持に基く社会的幸福増進事業」として、ラジオを用いた体操事業を日本に紹介。 (昭和2年)8月進藤企画課長が海外での見聞をもとに、 当時旧チェコスロバキアで行われていた全国民が一斉に行う「ソコール運動」に (昭和3年)9月簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力の下に旧ラジオ体操第一を制定。 (昭和4年)2月ラジオ体操全国放送となる。 (昭和5年)7月神田万世橋署の面高巡査がラジオ体操の会(子どもの早起き大会)を始める。その後全国に普及。 (昭和6年)7月「ラジオ体操の歌」(小川孝敏作詞、堀内敬三作曲)発表。 (昭和7年)7月青壮年向きの体操として旧ラジオ体操第二が制定され、放送開始。 (昭和13年)1月簡易保険事業を厚生省に移管。 (昭和14年)2月全国ラジオ体操の会を結成。 (昭和17年)11月簡易保険事業が逓信省に戻る。
全国ラジオ体操連盟
ラジオ体操の歴史(年表)
1916年 - 1942年国民保健体操から旧ラジオ体操制定へ
1923年
1925年
4月簡易保険局の進藤誠一企画課長が海外の保険事業の視察に派遣される。
7月猪熊監督課長が海外での見聞をもとに、
『逓信協会雑誌』に「放送無線による保険事業宣伝」と題する論説を発表。
1927年
『逓信協会雑誌』に「健康体操放送を開始せよ」と題する論文を発表。
日本人の体格向上のため、国民すべてが行うべき運動として、
「老若男女を問わず」「誰にでも平易にできる」「内でも外でも、いかなる場所でもできる」
「多少趣味的な」体操の開発を提唱。
注目していた田邊隆二簡易保険局長の考えなどもあり、
国民の健康の増進等を目的とし簡易保険局がラジオ体操の実施を決定
(天皇陛下御即位の御大礼を記念して行うべき国民的事業を検討するための会議内)。
1928年
11月東京中央放送局からラジオ体操放送開始(朝7時から)NHK江木理一アナウンサー登場。
ラジオ体操普及のため体操講演会を昭和4年末まで行う。
12月ラジオ体操のレコードができる(3枚1組)。
1929年
1930年
1931年
1932年
7月全国ラジオ体操の会始まる(延べ参加人員2,593万人)。
11月第1回全日本体操祭開催。
1938年
1939年
9月厚生省は、国民体力の向上のため旧ラジオ体操第三を発表。
12月旧ラジオ体操第三放送開始。
1942年