この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。ラジオはアメリカン
愛称ラジアメ
ジャンルバラエティ番組
放送方式録音
放送期間1981年4月12日 - 1996年6月30日
放送時間放送時間参照
放送局TBSラジオ
制作PRP
ネットワーク北海道放送、東海ラジオ、ラジオ大阪、西日本放送、中国放送、RKB毎日放送ほか
(ネット局参照)
パーソナリティ大橋照子
斉藤洋美
大原のりえ
出演鶴間政行
ディレクター中村肇、酒井良行、トトロ大嶋。
提供ナムコ
テンプレートを表示
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル ラジオ
『ラジオはアメリカン』(「ラジオWAアメリカン」とも表記。略称「ラジアメ」)は、1981年4月12日から1996年6月30日まで[注 1]、日本のTBSラジオで放送されていたラジオ番組である。『大橋照子のラジオはアメリカン』(おおはしてるこのラジオはアメリカン)として始まった。全国各地のラジオ局でネットされていたが、ネット局によっては放送開始・終了の時期が異なる(#ネット局参照)[注 2]。
1985年、大橋照子がアメリカに行くことになり、パーソナリティーを斉藤洋美にバトンタッチした。
1998年10月から1999年3月までは、大橋による復刻版的な番組『ラジオはカプチーノ』を放送。
2002年3月からAIIにより、有料インターネットラジオサイト「ラジ@ (ラジアット)」内で『斉藤洋美のラジオはアメリカン』(さいとうひろみのラジオはアメリカン)として復活[3][4]、2006年6月まで配信した。
番組制作は、株式会社PRP。
2018年11月3日に、20年ぶりのイベント『帰ってきたラジオはアメリカン』(かえってきたラジオはアメリカン)が開催された[5]。 番組リスナーからのハガキ等の投稿により放送していたラジオ番組。 番組名の「アメリカン」は、“コーヒーのアメリカンのように中身の薄い番組”という意味合いだが、開始当初はアメリカのホットな情報(最新の流行物、ヒット曲、映画の情報や話題等)を届ける番組や「英会話」の番組とよく間違われていた。大橋の軽妙で甘い語り口で、全国のリスナーに支持される。リスナーに身近でアットホームな話題が多く、新聞の投書欄で「深夜の井戸端会議」と評されたこともある。 TBSラジオでの放送では、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)の一社提供[注 3][注 4]で、提供クレジットも15年間「この番組は『遊び』をクリエイトする、ナムコがお送りします(お送りしました)。」が使われた。そのため、番組内で使われるサウンドステッカーにはナムコのゲームミュージックが使われることが多かった。また、番組イベントなどではナムコのアミューズメント施設が使われることもあった。ただし、ネットされた放送局によっては番組購入という形のため、スポンサーがなかったところもある。 TBSラジオでは、毎週日曜日0時台や毎週月曜日0時台、または同1時台などの時間帯に放送されていた。放送時期により放送時間は何度か変わることもあった。プロ野球開催中は前枠でナイター中継の放送がされており、時折延長される事やその後の番組が延長放送時間分だけ後にスライドして放送されていた事もあり、放送開始時間は変動する事も多かった[注 5]。 番組リスナーのメインは学生層(中高生、大学、専門学校など)。番組パーソナリティーの大橋照子と斉藤洋美が「ラジオたんぱ」での人気番組のパーソナリティーをしていた事もあり、引き続きのリスナーも多かった。番組が長年に亘り放送されており、パーソナリティーが変わっても番組内容は引き継いでおり、深夜の時間帯に放送されていた放送局も多く、学生時代からのリスナーが社会人となってもリスナーとなっていることも多かった。リスナーの中には爆笑問題の太田光(大橋時代)、声優の神谷浩史(斉藤時代)もいた[42]。 番組放送が深夜の時間帯だったラジオ局も多く、地元のラジオ放送局の放送が終了している時間帯に他地域のラジオ放送をしている放送局を探していたところたまたま聞いた人が引き続きリスナーになったり、番組リスナーである子供や孫等から薦められての年輩リスナーも少なからず存在しており、時折年輩リスナーからのハガキ投稿も番組内で紹介されたこともあった。 番組内での採用作品の中で、特に優秀なものには賞金(放送時期により、賞金は「1万円〔時折、5千円札×2枚〕」「5千円」「3千円」)が、これに準ずるものにはラジアメトレーナー(後に、ラジアメTシャツ〔「1年分」とし、トレーナーやTシャツを1枚〕)が贈られた。番組で採用されると「番組ステッカー」などの番組ノベルティグッズが贈られた。斉藤洋美時代での「ハガキコーナー」では、採用されると、「魔除け下敷き」など、後に「矢印良品」[注 6]と銘打った番組ノベルティグッズ、その後、エアクッション(いわゆる"プチプチ")や紙工作などの詰め合わせの「ひとり遊びセット」が贈られた時期もあった。長期に亘り放送されていた斉藤洋美時代には、各種の番組ノベルティグッズが制作され、ハガキ紹介者等には贈られており、番組イベント等でも参加者には、ノベルティグッズが配布されていたこともある。 一般的に放送番組の改編の行われる4月、10月の数週間前の3月中、9月中の放送回では、番組内で次期の放送番組改編後に新たに放送される放送局や放送時間の変更、放送終了や放送開始の案内が丁寧にされていた。また、年末年始時期の放送日時の変更の案内も同様である。加えて、同時期の放送では、番組エンディング音楽部分に、アナウンサー等による案内が放送されていた。 番組放送開始当初から終了まで、また、インターネット配信時代も、東京都千代田区麹町郵便局に設けた「私書箱36号」で番組宛のハガキ、カセットテープの募集がされていた。 番組収録は基本的に週に1回行われていた。 録音放送であり、毎年新年早々にも放送されている放送局も多くあり(放送時間の変更はされていた放送局もあった)、12月の番組中では、翌年新年放送向けの内容の投稿ハガキ、カセットテープ募集の告知もされていた(収録は年末であったが、投稿ネタなどは新年向けな話題や内容など)。
概要