ラザード・リミテッド
Lazard Ltd
種類公開会社
市場情報NYSE LAZ
ラザード(英語: Lazard)は、主に機関投資家向けの投資銀行業務や資産運用業務、およびファイナンシャル・アドバイザリー・サービスなどを含む多岐にわたる金融サービスを提供する国際的な金融グループ。19世紀以来、ニューヨーク(米国)、パリ(フランス)、ロンドン(イギリス)に主要な拠点を置く。フランス語では「ラザール」となる。
27か国43都市に事業所を持つ、ラザード・グループLLCの親会社であり、世界的な名門投資銀行。少数精鋭の体制で知られる。インドシナ銀行をはじめとする多くの企業へ役員を派遣し、PSA・プジョーシトロエン等フランス企業同士の大合併を仲介してきた。2004年、バンク・ワン(Bank One Corporation)とJPモルガン・チェースの合併に役割を演じて相応の顧問料を得た[2][3]。2008年の金融危機に際しては、三菱UFJフィナンシャル・グループのモルガン・スタンレーへの出資を手掛けた。ラザードは永らく非公開の合名会社であったが、2005年5月5日、ニューヨーク証券取引所に株式公開した。巨大な投資子会社ユーラゼオのポートフォリオがラザードの投資顧問業と相乗効果をあげている。 1848年7月12日、ユダヤ系フランス人のアレクサンドル・ラザード、ラザール・ラザード、サイモン・ラザードの三兄弟はルイジアナ州ニューオリンズにて後にラザードとなるドライグッズを扱う商社ラザード・フレール&カンパニーを9000ドルを元手に設立した。 1851年、サイモン・ラザールは他の二人の兄弟モーリスとエリーと共にゴールドラッシュの活気に溢れるカリフォルニア州サンフランシスコへと移り、輸入や金塊の輸出の事業を開始、アレクサンドルは同時期にニューヨークへと拠点を移した。事業は間も無く銀行業や外国為替業の金融業へと拡大した。 1854年、アレクサンドル・ラザールはフランスへと移り、アメリカでの事業を補完する役目としてパリにオフィスを開設し、フランス政府に対する金塊の購買に関するアドバイザー業務を開始した。1870年には国際事業の拡大に伴いロンドンにもオフィスを開設した。 1876年までにラザードは多角化した事業を再編し投資銀行業務へと特化し、1880年にはニューヨークにオフィスを開設した。 ラザード家
歴史
初期
近代
Elie とEsther はAlexandre, Elie, Simon という三人の息子がいた。彼らは米国ルイジアナ州のニューオーリンズに定住して、1848年に穀類や綿の貿易を取り扱うラザード・フレール・アンド・カンパニーを設立した。フレールは英語のブラザーだから、社名はラザール兄弟とも書かれる。カリフォルニア・ゴールドラッシュに乗ってラザールは事業拡大し、外国為替まであつかう金融業へ進出した。1852年に設けられたパリ支店は、手始めにフランス政府が正金を購入するにあたり顧問を務めた。パリ銀行(パリバの前身)とも親しくしながらビジネスを展開し、パリ支店は最初からフランス資本でも並ぶものがない投資銀行であった。1877年にロンドン支店を設け、つまり三人の晩年に訪れる大不況を前に、同族経営のラザードは勢力を英仏米に三分した。
アメリカではストラスブールからやってきたマーク・ユージン・マイヤー(英語版)(Marc Eugene Meyer 1842-1925)を共同経営者として迎え入れた。1896年、George Blumenthal がジョン・モルガンらとシ団を組んでグロバー・クリーブランド大統領に兌換用の金塊を提供した。