ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較
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ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較(ラグビーリーグとラグビーユニオンのひかく)では、2つのチームスポーツ、ラグビーリーグラグビーユニオンの比較について記述する。

ラグビーリーグとラグビーユニオンは、互いに起源を同じくするラグビーフットボールであり、1895年、選手に金銭報酬等を支払うことを許容するかを巡り、プロ化を許容するラグビーリーグと、アマチュアスポーツであることを堅持するラグビーユニオンに分裂した。もっとも、1995年にラグビーユニオンは、ラグビーリーグやその他ほとんどのフットボール競技と同様に開かれたプロスポーツとなった[1]

前記のとおり、両者は、当初は、統括団体が異なるのみであった。しかし、ほどなくして、ラグビーリーグのルールが修正され、2つの明確に異なるラグビーが生まれた。ラグビーリーグとラグビーユニオンとの間の持って生まれた類似点から、時に触れて2つのラグビーの融合の可能性につながり[2]、2つのスポーツのルールを混合した実験的なハイブリッド競技がプレーされてきた[3]
歴史詳細は「ラグビーリーグの歴史(英語版)」および「ラグビーユニオンの歴史」を参照

ラグビーユニオンは元々ラグビーフットボールと呼ばれていた。ラグビーフットボールの発生初期は、それぞれの学校が異なるルールを使用していた。そのため多くの場合、試合の開始直前にルールについて合意を形成する必要があった[4]。1871年、イングランドのクラブがラグビーフットボール連合(RFU)結成のために会合を開いた。ラグビーフットボールはオーストラリアとニュージーランドにも広がっており、19世紀初頭から中頃にこれらの国々でプレーされた[5]

1892年、ヨークシャーのクラブが試合のために仕事を休んだ選手に対して休業補償を行った後、これらのクラブに対してプロフェッショナリズムの嫌疑が課された。試合への出場のために仕事休んだ時に選手に対して最大6シリングを支払うという提案はRFUによって否決された。1895年8月27日、主要なランカシャーのクラブは、プロ組織を設立するというヨークシャーの仲間の提案を支持する、と宣言し、北部ラグビーフットボール連合(NRFU)が結成された[6]。ロンドンのRFUの権力者らは、分派したグループに関わったクラブ、選手、および審判員(北部連合のチームでプレーあるいは対戦したアマチュア選手を含む)に対して制裁を課した。この分裂後、RFUのコード(code、法典)は「ラグビーユニオン」、NRFUのコードは「ラグビーリーグ」と呼ばれるようになった[7]

1906年、オールブラックスのジョージ・ウィリアム・スミス(英語版)とアルバート・ヘンリー・バスカヴィル(英語版)はプロラグビー選手のチームを作るために協力した。ジョージ・スミスはシドニーの友人に電報を打ち、ニューサウスウェールズ州代表との間で3試合のプロの試合が企画された。この試合はラグビーユニオン規則の下でプレーされた。オールゴールズ(英語版)(All Golds)という愛称が付けられたこのチームは次にイギリスに遠征し、リーズに到着すると新しい北部連合の規則を学んだ。それと同時に、シドニーではオーストラリアにおけるプロラグビー競技会の設立について考えるために会合が組織された。この会合では、北部連合のルールをプレーするために、「ニューサウスウェールズ・ラグビーフットボールリーグ(英語版)」(NSWRFL)が結成されるべきである、と決議された。NSRFLの競技会の初シーズンは1908年にプレーされ、それ以後毎年プレーされ続けている。

ラグビーリーグのカンガルーズ1921-22イギリス遠征(英語版)の間、北部ラグビーフットボール連合はパリで試合を企画しようと試みていたが、ラグビーフットボール連合と提携するフランスラグビー連盟からの反対によって不可能となった[8]。フランスでは、1930年代にラグビーユニオンからラグビリーグが分裂した(プロフェッショナリズムの嫌疑でフランスがファイブ・ネイションズから追放されたため)。1948年、フランスはラグビーリーグのための世界競技運営団体として国際ラグビーリーグ評議会の結成を推進した。フランス、ニュージーランド、イギリス、およびオーストラリア(数カ月後に加盟)が創設国となった。国際ラグビーフットボール評議会(IRFB、現在のワールドラグビー)はリーグとの分裂に先立つ1886年に結成されており、ラグビーユニオンの国際統括団体として残っていたが、加盟協会はイングランド、ウェールズ、アイルランド、およびスコットランドのみであった。オーストラリア、ニュージーランド、および南アフリカは1948年に、フランスは1978年に、アルゼンチン、カナダ、イタリア、および日本は1991年にIRFBに加盟した。

1995年8月26日、IRFBはラグビーユニオンが「開かれた」競技と宣言した。これによってラグビーユニオン選手への支払いや競技から利益を得ることに関する全ての制限が取り除かれた[9]。当時のニューヨーク・タイムズ紙によれば、「13人制ラグビーリーグはもう一方のコード(ラグビーユニオン)よりも優れたアスリートによるより速く、より開かれた競技であること証明してきた。ラグビーユニオンはうまくアマチュアリズムからの脱出を試みているところであり、一部の当局者らは競技(ラグビーユニオン)が遅すぎであり、規則はより多くのTV視聴者を引き付けるには入り組み過ぎているということを認めている」[10]
命名「フットボール」も参照

どちらのラグビーコードもフットボールの一種であるものの、「フットボール」という単語は国(あるいは実際には国内の地域)によってサッカー、グリッドアイアンフットボール、ゲーリックフットボールオーストラリアンフットボールを意味すると理解されるため、多くの場所で混乱の原因となりうる。ラグビーユニオンがプレーされる国の大半では、ラグビーリーグはほとんどプレーされず、ラグビーユニオンが一般的に単に「ラグビー」と呼ばれる。両方のコードがプレーされる国々では、これらのコードを区別する必要がある。

イギリスでは、ラグビーユニオンあるいはラグビリーグのファンがこれらのスポーツを「フットボール」と呼ぶのは稀である(ほとんどの場合フットボールはサッカーを意味するため)。イギリス全土で、ラグビーユニオンは大抵単に「ラグビー」と呼ばれるが、イングランド北部では「ラグビー」という単語はどちらのスポーツも指し示しうる[11][12](しかし大抵は「ラグビーリーグを意味する」)。イングランドの上流階級のスクールで生まれた「ラガー」(rugger)という愛称はほぼ常にラグビーユニオンを意味する[要出典]。

オーストラリアとニュージーランドでは、ラグビーリーグは大抵「リーグ」あるいは「フットボール」と呼ばれ、後者は潜在的にオーストラリアンフットボールおよびサッカーと混同される。ラグビーユニオンは単に「ラグビー」と呼ばれることが多く、イギリスで見られるような曖昧さは存在しない。

フランスでは、ラグビーユニオンは「rugby a quinze」(15人のラグビー)あるいは単に「rugby」と呼ばれるのに対して、ラグビーリーグは「rugby a treize」(13人のラグビー)あるいは「jeu a treize」(13人のゲーム。1980年代中頃までは「ラグビー」と名乗ることができなかったため)と呼ばれる[13][14]
試合詳細は「ラグビーリーグの試合」および「ラグビーユニオンの試合」を参照

1895年の分裂以後、ラグビーユニオンとラグビーリーグ双方の規則が変更されていったため、現在ははっきりと異なるスポーツとなっている[15]。ラグビーリーグ競技規則(英語版)はより速く[16]、より観客に分かりやすいスポーツを作り出すことを目指して徐々に変更されてきた[17]。フィールド上の選手数は各サイド13人に減らされ、これによって攻撃のためによりスペースが作り出された。ラックモールはプレ-ザ-ボールによるリスタートに置き換えられた[18]。ラグビーユニオン競技規則(英語版)の変更点はあまり極端なものではないが、試合がゴールに集中するよりもトライを目指したものとなるように得点の調整が行われてきた[19]。2009年、大きな規則変更(英語版)がより単純でよりオープンな試合を作る目的で実施された[20]。ラグビーリーグ歴史家トニー・コリンズ(英語版) は、1990年代中盤におけるプロスポーツへの転向以後、ラグビーユニオンはラグビーリーグから技術と戦術をますます取り入れてきている、と述べている[21][22]

ラグビーユニオンはラグビーリーグよりも多くの規則を有し[23][24]、より複雑な競技であると説明されてきた[25][26]。同様にしてラグビーリーグは観客がより理解しやすいより単純な競技と説明されてきた[27]。オーストラリアのデュアルコードインターナショナル(リーグとユニオンの両方で代表に選ばれたラグビー選手)マット・ロジャーズ(英語版)は、「ラグビー [ユニオン] は非常に複雑で、ラグビーリーグは比較するとかなり単純だ」と述べている。イングランドのデュアルコードイングランド、クリス・アシュトン(英語版)は、ユニオンは「戦術的な面がより多くで、試合で起こり得ることがより多い」と述べた。アイルランドのトム・コート(英語版)は「ラグビーユニオンはスクラムやラインアウトのリフトのような一定の閉じた技術を伴う複雑な競技で、ラグビーリーグは最高レベルで競い合うためにはより高水準のフィットネスを必要とする」と述べた[28]
2つのコード間の類似点

2つのラグビーは同じ基本的な競技規則を有し、似た形状の卵形ボールを使用する。試合の目的はトライ、コンバージョン、ペナルティゴール、ドロップゴールによって80分以内に相手より多く得点することである。

2つのポストの間、クロスバーの上をキックしたボールが通過した時がゴールとなる。これはオープンプレー時あるいはペナルティの結果として得られる。トライは守備チームのゴールライン上あるいはラインを越えた位置にボールをタッチダウンした時に得られる。トライを決めたサイドは、トライを決めた位置と同じ距離だけサイドラインから離れたサイドラインに平行な線に沿った地点からペナルティゴールの試行と同様にコンバージョンを蹴ることによって追加の2点を得る機会が与えられる。

ボールは、キッキング、ボールを持ったランニング、あるいはセットピースの結果、という3つのやり方で前進させることができる。ボールはチームメイト間で後方あるいは側方に手から手にパスすることができる。前方にパスしてはいけないが、前方にキックすることはできる。ボールを前方に落とすとスクラム(試合を再開するセットピース)となる。例外として、リーグでの6回目のタックル時にはスクラムとならず、相手側に所有権が引き渡されて試合が再開する。

ボールを保持している選手にだけタックルしてもよい。ラグビーのタックルはボールキャリアを地面に捻じ伏せる、あるいは前進を止めようとする試みである。タックルされると、ボールは別の選手に移動されてプレーが再開する。

プレーのポジションは「バックス」― 一般的により速く、より機動力があり、ほとんどの点を決める選手、とより大きく、より強い「フォワード」に分けられる。フォワードはラグビーのより身体的な側面に関わり、一般的により多くのタックルを行う。
所有権(ポゼッション)

2つの競技の試合の大きな違いは、ラグビーリーグがラグビーユニオンでは残っているボールの所有権を争ういくつかの機会(タックル後、ラック中のグラウンド上、モール中)を規則から取り除いたことである[29]。ボールがタッチに出た時、ラグビーユニオンでは所有権はラインアウトによって争われるのに対して、ラグビーリーグではスクラムでプレーを再開する。所有権の争いにそれほど注力しないことは、ラグビーリーグではプレーの停止がより少ないことを意味する[30]。ラグビーリーグでは通常80分の試合時間中50分がインプレーであるが、プロラグビーユニオンでは35分程度である[31]。ボールがより多くプレーされ、フィールドをカバーするための人数がより少ない(ユニオンの15人に対してリーグは13人)ため、ラグビーリーグはより身体的要求が高いスポーツであることが暗示されてきた[32][33]

ユニオンでは、攻撃チームは可能である限りずっとボールを保持し、使うことができるのに対して、相手は攻撃側からボールの所有権を奪うことを目指す。リーグでは、各チームは6回までタックルを受けることができ、6回目のタックルで所有権が相手に引き渡される。さらに、タックルが成功するたびに動作が止まる(すなわちタックル後にボールは争われない)。5回タックルを受けた後、攻撃チームは大抵攻撃のためあるいは陣地を得るためにボールを蹴る。リーグではボールは1対1のタックル(英語版)の間にのみ争うことができるため、ラグビーユニオンよりもターンオーバーが起こる余地が小さい[34]。IRBによって委託された研究では、ラグビーユニオンにおいて2002年から2004年の間にタックル14回中13回で攻撃チームによって所有権が保持された[34]


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