ここでは15人制について記載しています。13人制の「ラグビーリーグ」とは異なります。
ラグビーユニオン
南アフリカのビクター・マットフィールドが2006年のニュージーランドとの試合においてラインアウトを取っている。
統括団体ワールドラグビー
通称ラ式蹴球、闘球、ラガー、ラグビー[1]
起源19世紀初頭(初期の型)
1845年(成文法)
特徴
身体接触フルコンタクト
選手数15人
男女混合男女別
カテゴリチームスポーツ、屋外
用品ラグビーボール
ラグビーユニオン(英: Rugby Union)は、ラグビー誕生とされる1823年[2][3][4][5]以後、各地で異なるルールを統一するために、1871年にイングランドで発足したラグビーフットボールユニオン(Rugby Football Union、RFU)[4][5]の活動を源流とする、ラグビーフットボールの15人制フォーマットおよびその競技愛好者の総称である[5]。現在、ワールドラグビーがラグビーユニオンの世界統括団体となっている[6]。フォーマットが異なる13人制ラグビーのラグビーリーグと対比される[7]。(「ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較」も参照) ラグビーフットボールは、アソシエーション・フットボール(いわゆるサッカー)と異なり、ボールを手で持って走ることが許されている[8]。 1895年に、イングランド南部のラグビーフットボールユニオン(RFU)と、イングランド北部のノーザンラグビーフットボールユニオン(NRFU)とに分裂し、ラグビーは2つのフォーマット(=コード、ルール)に分化した[9]。RFUのフォーマットが、ラグビーユニオン(15人制ラグビー)である。NRFUは後年、ラグビーリーグ(13人制ラグビー)と称するようになる[10]。 ラグビーユニオンは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドのホーム・ネイションズから普及し、イギリス帝国に属する国々の多くに広まった。初期に普及したのは、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどである[4]。 日本では、1866年(慶応2年)、横浜に英国人駐在員による横浜フットボールクラブ(YFBC)がアジアで初めてのラグビークラブとして創立し、横浜公園で活動していた[11][12]。 日本人への伝来は、1899年(明治32年)に慶應義塾の英文学教員エドワード・B・クラークと田中銀之助が、塾生にラグビーの指導を始めたのが最初である[13][14]。その2年後、1901年(明治34年)12月7日に慶應義塾と横浜外国人スポーツクラブYC&ACが、日本初のラグビーユニオンの試合 かつ 日本初の国際試合を横浜公園で行った[14][15]。田中銀之助は、後年、日本ラグビーフットボール協会の初代名誉会長となる。 単にラグビーといった場合、競技人口の多さゆえにラグビーユニオンを指す場合が多いが、オーストラリアではラグビーリーグのほうが競技人口が多く、ラグビーユニオンの3倍以上となっている[16]。 1886年に設立されたラグビーユニオンの国際統括団体IRFB(国際ラグビーフットボール評議会)は、後にIRB(国際ラグビー評議会)、そしてWR(ワールドラグビー)へと加盟国数を拡大しつつ、またプロ化(アマチュアリズムの破棄)をはかり、スポーツ市場に向けてラグビーユニオンのブランディングを重ねてきた[17]。 1895年にプロ化を志向したNRFU(後のラグビーリーグ)と分裂して以来、ラグビーユニオンは100年間アマチュアリズムを掲げていたが、1995年にWRはこれを撤廃しオープン化(プロ化)を宣言した[18][2]。 ラグビーユニオンが事実上の国技であるのは、フィジー[19]、ジョージア[20]、ニュージーランド[21]、サモア[22]、トンガ[23]、ウェールズ[24]などである。2020年11月現在、128の各国・地域の協会がWRの会員となっている[17]。 1987年に始まったラグビーワールドカップは4年に一度開催され、優勝チームはウェブ・エリス・カップを得る[25]。他に、ヨーロッパのシックス・ネイションズ、太平洋周辺国によるワールドラグビーパシフィックネイションズカップ、WRの主催ではないが南半球のザ・ラグビーチャンピオンシップなど多くの国際大会がある。
概要