ラグナル・ロズブローク
Ragnarr Lodbrok
ロスブロクス(Lothbrocus)と彼の息子ヒュングワール(Hyngwar)ウッバ(Ubba)。15世紀の細密画。(MS.Harley 2278. folio 39r.)
配偶者ラゲルタ
ラグナル・ロズブロークあるいはロドブローク(古ノルド語: Ragnarr Lodbrok、英: Ragnar Lodbrok, Lothbrok、丁: Regnar Lodbrog[1]「毛羽立ちズボンのラグナル」の意)は、ヴァイキング時代の古ノルド語詩(英語版)や、いくつかのサガに記述されている古代スカンディナビアの伝説的な[2][3]指導者で王、そして英雄である。これらの伝承によれば、ラグナルは9世紀にフランスとイギリスに災いをもたらしらした人物であり、骨無しのイーヴァル、剛勇のビョルン、ハールヴダン・ラグナルスソン、蛇の目のシーヴァルド(英語版)、ウッボ(英語版)らを含む高名な息子たちの父でもあった。
伝説によれば、ラグナルは貴族の婦人ソーラ(英語版)、アースラウグらと2度、または楯の乙女ラゲルタ(英語版)を含め3度結婚した[注 1]。デンマークの王ゴズフレズと縁続きであり、スウェーデンの王シグルド・リング(英語版)の息子であるといわれている。彼は自ら王になると、侵略と征服によって有名になったが、最後は敵であるノーサンブリアのアエルラ(英語版)王に捕らえられ、蛇牢に入れられて殺害された。彼の息子たちは大異教軍を率いてイングランドを侵略し、残虐な復讐をした[8]。 ヒルダ・エリス・デイヴィッドソンは、『デンマーク人の事績』の解説の中で、「第9の書」に見られるラグナルの伝説は、サクソがさまざまな出来事と物語をひとりの王ラグナルに落とし込もうとしたために多くの混乱と矛盾が現れていると注記している。そのため、『デンマーク人の事績』でラグナルがしたとされる行為は、他の情報源を介してさまざまな人物と結びつけることができ、うちいくつかはより歴史的に確実である。以下が「歴史的なラグナル」と考えられる人物である。
史実性
ホーリク1世
ラグンフリズ(814年没)。
デンマークの一部を支配し、ハーラル・クラーク(英語版)と対立した王。
9世紀にパリを攻撃したレギンヘルス(Reginherus)という人物。
おそらく『アイルランド年代記(英語版)』に登場するログンヴァルド。
865年に大異教軍を率いてイングランドに侵攻したヴァイキングのリーダーの父。
これまで伝説的なラグナルと、1人あるいは何人かの人物を結びつける試みは、さまざまな報告と年代配列の帳尻を合わせるのが困難であるために失敗してきた。にもかかわらず、9世紀中頃のヨーロッパを荒し回り、名高い息子たちの父となった、ラグナルという(あるいはそれに似た)名のヴァイキングの英雄は際立って根強く、その諸相のいくつかは『アングロ・サクソン年代記』のような比較的信頼の置ける出典にも取り上げられている。1979年のデイヴィッドソンの記述によれば「研究者は近年、ラグナルの物語の少なくとも一部は歴史的事実に基づいていることを認めている[9]。」一方、キャサリン・ホルマンは「ラグナルの息子たちは歴史的人物であるが、ラグナル自身が実在したという証拠は存在しない。彼は数人の異なる歴史的な人物を混ぜたものであり、純粋に文学的な発明である」と結論づけている[8]。
原典