ラクロス_(ウィスコンシン州)
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ラクロス

La Crosse
ラクロス市中心街の噴水
ウィスコンシン州内の位置
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アメリカ合衆国
ウィスコンシン州
ラクロス郡
政府
 ? 市長ティム・カバット(民主党
面積[1]
 ? 合計22.54 mi2 (58.38 km2)
 ? 陸地20.52 mi2 (53.15 km2)
 ? 水域2.02 mi2 (5.23 km2)
標高669 ft (204 m)
人口(2020年)[2]
 ? 合計52,680人
 ? 密度2,300人/mi2 (900人/km2)
等時帯UTC-6 (中部標準時)
 ? 夏時間UTC-5 (中部夏時間)
郵便番号54601, 54602, 54603
市外局番608
FIPS code55-40775[3]
GNIS feature ID1567672[4]
空港ラクロス地域空港
州間高速道路州間高速道路90号線
ウェブサイト ⇒www.cityoflacrosse.org
ウィスコンシン州内の位置

ラクロス(: La Crosse, Wisconsin)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州西部の都市。ラクロス郡郡庁所在地である。人口は5万2680人(2020年)。ミシシッピ川に沿っており、ウィスコンシン州西側州境では最大の都市である[5]

ラクロス郡とミネソタ州ヒューストン郡の全体を含むラクロス都市圏の中核である。市内には評価の高いウィスコンシン大学ラクロス校[6]、私立のビターボ大学、ウェスタン工科カレッジがある。
歴史

ラクロスは1856年に市として法人化されたが、その歴史はそれ以前からあった。ラクロスのある場所を最初に見たヨーロッパ人はフランス人毛皮交易業者であり、17世紀後半にミシシッピ川を上ってきていた。しかし文書による記録は残されておらず、記録としては1805年にゼブロン・パイク中尉がアメリカ合衆国のためにミシシッピ川を遡る遠征隊を率いてきたのが始まりだった。パイクはこの場所を「プレーリー・ラ・クロス」と記録した。この名前は司教杖すなわちフランス語の「ラ・クロス」に似たラケットを使うスポーツから採られており、インディアンがこの地域で楽しんでいた[7][8]

1841年、ニューヨーク州生まれのネイサン・ミリックが毛皮交易を行うためにプレーリードゥシーンの村に移動したときに、ラクロスに初めて白人が入植した。その地域には既に多くの毛皮交易業者が入ってきており、ミリックが商売を行う隙間が無かったので落胆した。その結果、まだ入植されていなかったプレーリー・ラ・クロスまで上流に進んで、交易拠点を設けることにした。1841年、現在のラクロス市中心街の直ぐ西にあるバロン島(現在プティボーン公園と呼ばれている)に暫定基地を建設した。翌年、ミリックは基地を本土に移し、共同経営者のH・J・B・ミラーが運営した[9][10]

ミリックが基地を建設するために選んだ場所は、開拓に理想的な所であることが分かった。そこはブラック川、ラクロス川、およびミシシッピ川が合流する場所に近かった。さらにミシシッピ川のウィスコンシン側岸にある幾つかの地点の1つであり、川岸と川のバレーを縁取る高い崖との間に、開発には理想的な広い平原があった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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