ラウンドアバウト
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「ラウンドアバウト」のその他の用法については「ラウンドアバウト (曖昧さ回避)」をご覧ください。
左側通行道路のラウンドアバウト(長野県下伊那郡高森町高速道路の流出入路に設けられたラウンドアバウト(チェコ)

ラウンドアバウト(: roundabout)、または環状交差点(かんじょうこうさてん)とは、交差点の一種で、中心の島の周囲を一方向に周回する方式のうち、環状の道路に一時停止位置や信号機がないなどの特徴をもったものをいう。

同様の交差点で一時停止位置や信号機があるものをロータリー交差点(円形交差点)という。

英語では一時停止位置や信号機の有無にかかわらず rotary や roundabout 、traffic circle と総称しているが、特に区別する場合は一時停止位置や信号機がないもの(日本で単にラウンドアバウトというもの)を modern roundabout(現代的ラウンドアバウト)という。

本項では特に断らない限り、現代的ラウンドアバウトを扱う。

3本以上の道路を円形のスペースを介して接続したもので、この円形のスペースの真ん中には中央島と呼ばれる、円形の通行できない区域がある。車両はこの中央島の周りの環状の道路(環道)を一方向(右側通行なら反時計回り、左側通行なら時計回り)に通行する。
歴史
景観のための円形交差点現代のシャルル・ド・ゴール広場

1625年ロンドン辻馬車が登場。ほどなく、パリにも登場している。1662年ブレーズ・パスカルはパリで乗合馬車5ソルの馬車」を創業する。馬車のスムーズな交差点通過の必要性から、カーブを大きく取り中央に島が作られて、必然的にロータリーが形成されてきた。円形交差点は19世紀後半からヨーロッパで作られはじめた。この時期の円形交差点は都市の中心部などに景観上の工夫として考案されたものである。例えばシャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)の建設当初の目的は、もともと5本の道路が集まる広場であり、中心に凱旋門が建造されて、環状の道路をもつ交差点になったのである。
交通システムとしての円形交差点(一方通行化)

交通システムの一環として設計された円形交差点は、古代ローマの馬車の構造により、使われてきた。日本では、昭和40年代に、学校・病院などの玄関前に作られた。しかし、その後車両のサイズが大型化して使用に適さなくなり、すたれてきたが、平成26年から再認識されている。一方米国では、ウィリアム・フェルプス・エノの提案によって1905年アメリカ合衆国(以下、アメリカ)のニューヨークに作られたコロンバスサークルが最初のものである[1]。同時期に、フランスではウジェーヌ・エナールの提案でパリのシャルル・ド・ゴール広場の周りが円形交差点として1907年に整備された[2]。交差点内での車両の通行を、反時計回り(右側通行の場合)の一方通行にしたことが最大の特徴である。イギリスでは1909年、世界初の田園都市として建設されたレッチワースに作られたとされている[3]。イギリスでは円形交差点をジャイラトリー・システム (gyratory system) とも呼ぶが、1926年からはジャイラトリー・システムに代わってラウンドアバウトが円形交差点を指す公式な名称になっている[4]日本では1936年昭和11年)に作られた旭川常盤ロータリーなどが良く知られている。
円形交差点の衰退円形交差点の環道で車が動けなくなる状況の例
太線は車両の列を表す。右側通行では右方車優先が原則であるが、進入車両が優先であるとこのような事が起こる。こうなると、誰か(警察官など)が交通整理しない限り車両は動けない状態が続く。

円形交差点では対向車もないし、対向車線を横切って曲がる必要もないので適切な交通量においては十字の交差点よりスムーズな流れが期待できる。初期の円形交差点は、環道の車両の流れに素早く合流したり、環道内で車線変更することを意図して設計されており、また、合流の際には円形交差点に入る車両が優先されていた[1]。進入する車両が優先される根拠は、右側通行の場合、通常の十字路では向かって右側の車両が優先で、円形交差点への進入に際してもそれに倣ったのである。しかし、進入する車両は減速せずに交差点に入ることができるので、衝突したときの被害も大きかった。また、交通量が多くなった時に車両が環道内で動けなくなる状況が発生し、このことによっても円形交差点に対する評価は下がった。そのため1950年代にはいると、アメリカでは円形交差点がほとんど顧みられなくなった。
現代的環状交差点の考案

一方イギリスでは、1960年代に入り、英国交通研究所(TRL)がそのような円形交差点のもつ問題を調査し、解決策を探ることに着手した。この時に考案されたもののうち、最も特徴的なものは、環道内の車両が優先して通行するというルールである。その結果をうけて、1966年、イギリスでは環道内の車両が優先する規則をすべての円形交差点に適用した[1]。これが現代的なラウンドアバウトの始まりである。1971年にはイギリス運輸省によりラウンドアバウトの設計ガイドラインが作成された[5]。この現代的ラウンドアバウトは、一般的な交差点を通過する際の遅れ(赤信号の待ち時間など)を最小限におさえつつ、旧来の円形交差点の主要な課題であった安全性と環道内で動けなくなる問題を解決し、盛んに導入されるようになった。
環状交差点の普及

その後、1970年代から1980年代にかけてヨーロッパやイギリス連邦を中心にラウンドアバウトがイギリス国外にも広く普及し、例えば、フランスには1990年代後半の時点で約15,000箇所のラウンドアバウトが設置されるまでになった[5]。アメリカでも、諸外国での成功例からラウンドアバウトが見直されるようになり、1990年ネバダ州でアメリカで初めての現代的ラウンドアバウトが建設された[6]2013年(平成25年)には日本でも従来あった信号機を撤去したラウンドアバウトが初めて導入されている(長野県飯田市の東和町交差点)。その後、2014年(平成26年)に道路交通法が改正により環状交差点が規定され、日本全国で正式にラウンドアバウトの整備がすすめられた[7]
現代的ラウンドアバウトの特徴

現代のコロンバスサークル
環道内に駐停車スペースや横断歩道があるなど、現代的ラウンドアバウトの特徴を備えていない別の種類の円形交差点の例
世界の「譲れ」標識の例
ウィーン条約で定められた形式。ドイツ、フランス、カナダなどウィーン条約の別形式。スウェーデン、フィンランド、アイスランドなど
アメリカイギリス、ニュージーランド、シンガポールなど

1960年代から1970年代にかけてにイギリスでラウンドアバウトの設計基準が確立され、それに基づいて設計されたラウンドアバウトを、特に現代的ラウンドアバウト (modern roundabout) と呼ぶ。これは、主にアメリカで用いられる言い方で、アメリカでは一度円形交差点の建設がすたれてから後、1990年代になってヨーロッパなどでの事例を参考にしてラウンドアバウトが再度評価されたことから、従来の円形交差点とは明確に区別している。現代的ラウンドアバウトと区別する場合、従来型の円形交差点[† 1]はトラフィック・サークル (traffic circle) と呼ぶことが多い。

従来からある円形交差点に対して、現代的ラウンドアバウトは以下のような特徴を備えている[8][9]
進入車両に対する「譲れ」
進入する際は道路標識「譲れ」[† 2]で進入車両を制御する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:107 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef