ラウラ・アントネッリ
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Laura Antonelli
ラウラ・アントネッリ

本名Laura Antonaz
生年月日 (1941-11-28) 1941年11月28日
没年月日 (2015-06-22) 2015年6月22日(73歳没)
出生地 イタリア ポーラ
(現在の クロアチア プーラ
死没地ローマ
国籍 イタリア
職業女優
ジャンル映画
活動期間1960年代初 -
活動内容1960年代初 テレビドラマでデビュー
1965年 映画デビュー
主な作品
裸のチェロ
青い体験
セッソ・マット
イノセント

 受賞
ナストロ・ダルジェント賞主演女優賞
『青い体験』

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画像外部リンク
it:File:Laura Antonelli.jpg 1973年
it:File:Divinacreatura1975-Stamp&Antonelli.jpg 『悦楽の闇』、1975年
it:File:Il Merlo Maschio Laura Antonellli 1971.jpg 『裸のチェロ』、1971年
it:File:Laura Antonelli Sessomatto2 Dino Risi.jpg 『セッソ・マット』、1973年

ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli、1941年11月28日 - 2015年6月22日)は、イタリア女優である。クロアチアプーラ(旧イタリア・ポーラ)生まれ。イタリア式コメディの重要人物である。
略歴

1941年(昭和16年)、当時イタリア領だったプーラで生まれ、幼少期に家族と共にナポリに移住する。

体育の教師となる予定だったが、コカ・コーラが提供するテレビ・シリーズに数回出演した後、1965年(昭和40年)に初めて映画出演を果たす。数本の映画に脇役として出演し、1969年(昭和44年)のマゾッホ原作の『毛皮のヴィーナス』で初めて主役を演じる。1971年(昭和46年)の『裸のチェロ』などでセクシーな役を演じて、ヨーロッパで少しずつ知られるようになる。また、『コニャックの男』で共演したジャン・ポール・ベルモンドと恋仲になり、2人の関係は10年ほど続いた。

1973年(昭和48年)には、中学生の少年に初体験をさせるメイドを演じた『青い体験』が、本国イタリアを始めヨーロッパアメリカ日本で大ヒットした。イタリア映画記者協会の選定する賞、ナストロ・ダルジェント賞主演女優賞を受賞した。一躍1970年代のヨーロッパを代表するセックス・シンボルとなる。

1970年代後半には、彼女を「ヴィーナスの体をしている」と評したルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作、ダヌンツィオ原作の『イノセント』やエットレ・スコラ監督の『パッション・ダモーレ』といったイタリア映画の名匠の作品にも出演した。

1991年(平成3年)、自宅でコカインが押収され、麻薬所持・密売の容疑で、3年半の禁錮刑を言い渡される。アントネッリは、常習は認めたものの密売は否定、2000年(平成12年)には抗告が認められ、判決が取り消された。その後、『青い体験』の続編とも言える『Malizia 2000』のオファーを受けたが、撮影中にしわを隠すためコラーゲンを注入する手術を受けて失敗した。アントネッリは、強要された手術に原因があるとプロデューサー、監督等を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こすが、2003年(平成15年)に敗訴した。麻薬と手術の裁判が長すぎたため多大な損害を与えられたとして、アントネッリの弁護士側は、2003年に今度は国を相手取って損害賠償を請求した。2006年(平成18年)に国は原告の主張を認め、10万8千ユーロが支払われた。

2015年6月22日、心臓発作のため死去[1]。73歳没。
おもなフィルモグラフィ

Le sedicenni
 : 監督ルイジ・ペトリーニ、1965年 - デビュー作

『スレッジ』 : 監督ヴィク・モロー、1969年

『毛皮のビーナス 女芯のいとなみ』 : 監督マッシモ・ダラマーノ、1970年

コニャックの男』 : 監督ジャン=ポール・ラプノー、1971年

『刑事キャレラ 10+1の追撃』 : 監督フィリップ・ラブロ、1971年

クロツグミの男』 Il merlo maschio : 監督パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、1971年

セッソ・マット』 Sessomatto : 監督ディーノ・リージ、1973年

ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』 : 監督クロード・シャブロル、1972年

青い体験』 Malizia : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1973年 - ナストロ・ダルジェント賞主演女優賞受賞

続・禁断のインモラル/悦楽に身を焦がす女たち』 Mio Dio, come sono caduta in basso! : 監督ルイジ・コメンチーニ、1974年

『悦楽の闇』 : 監督ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ、1975年

イノセント』 : 監督ルキノ・ヴィスコンティ、1975年

続・青い体験』 : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1975年

『悦楽の貴婦人』  : 監督マルコ・ヴィカリオ、1977年

『ピンクのルージュ』 Letti selvaggi : 監督ルイジ・ザンパ、1979年

『パッション・ダモーレ』 : 監督エットレ・スコラ、1980年

『禁断のインモラル/魔性に彩られた処女喪失の館』 Casta e pura (1982) 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1982年

『薔薇の貴婦人』 : 監督マウロ・ボロニーニ、1984年

『スキャンダル 愛の罠』 : 監督ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ、1985年

『ハイレッグ・アバンチュール/セクシーギャル灼熱の情事』 Rimini Rimini : 監督セルジオ・コルブッチ、1987年

『アモーレ・アバンチュール/水着もモラルも脱ぎ捨てて』 Roba da ricchi : 監督セルジオ・コルブッチ、1987年

『青い体験 2000』 Malizia 2000 : 監督サルヴァトーレ・サンペリ、1992年

^ラウラ・アントネッリさん死去=「青い体験」で家政婦役?伊 時事通信 2015年6月23日閲覧

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ラウラ・アントネッリに関連するカテゴリがあります。

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Laura Antonelli - IMDb(英語)

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