ラウドン郡_(バージニア州)
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バージニア州ラウドン郡
リーズバーグ町にあるラウドン郡庁舎
モットー: "I Byde My Time"
郡のバージニア州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1757年
郡名の由来第4代ラウドン伯ジョン・キャンベル[1]
郡庁所在地リーズバーグ
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,349 km2 (521 mi2)
1,347 km2 (520 mi2)
3 km2 (1 mi2), 0.24%
人口
 - (2020年)
 - 密度
420,959人

標準時東部: UTC-5/-4
ウェブサイト ⇒www.loudoun.gov

ラウドン郡(: Loudoun County、[?la?d?n] LOWD-?n)は、アメリカ合衆国バージニア州の北部に位置するである。人口は42万0959人(2020年)[2]。郡東部にワシントン・ダレス国際空港が立地している。郡庁所在地リーズバーグであり、同郡で人口最大の町である。ラウドン郡はワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏に属している。

2007年時点でラウドン郡の世帯当たり収入中央値は107,207米ドルとなり、隣接するフェアファックス郡(105,241米ドル)を上回り全米第1位だった[3]
歴史

ラウドン郡は1757年にフェアファックス郡から分離して設立された。郡名は、1756年から1759年までバージニア植民地総督を務めた第4代ラウドン伯ジョン・キャンベルに因んで名付けられた。この地域のヨーロッパ人による入植は1720年代と1730年代に始まり、ペンシルベニアやメリーランドからクエーカー教徒、スコットランド・アイルランド系、ドイツ系移民などが南に下り、あるいはバージニアの海岸地域からイングランド系移民がアフリカ人奴隷を伴って、上流に上がってきた。

アメリカ独立戦争のときまでに、バージニアでは最も人口の多い郡になっていた。米英戦争のとき、安全のためにワシントンD.C.から連邦政府の重要な文書や古文書を移し、リーズバーグで保管した。地元の伝承では、これら文書はロークビー・ハウスに保管されたので、リーズバーグが暫定的なアメリカ合衆国首都だったとしている。

南北戦争初期の1861年10月21日、リーズバーグの近くでボールズブラフの戦いが起こった。後にアメリカ合衆国最高裁判所陪席判事なったオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアポトマック川沿いのこの戦闘で瀕死の重傷を負った。1863年6月のゲティスバーグ方面作戦では、南軍J・E・B・スチュアート少将の騎兵隊と、北軍の騎兵隊が衝突して、アルディーの戦い、ミドルバーグの戦い、アッパービルの戦いと続いた。南軍のゲリラ戦指揮者ジョン・モスビーが、ラウドン郡と隣のフォーキア郡をその作戦の本拠地とした。ウィリアムとサラのネットル夫妻の家屋、郡内ウォーターフォードにある
著名な出身者

ジェームズ・モンローが大統領を辞した後、アルディーの近くオークヒルに家を建てて住んだ。南北戦争の准将ロバート・H・チルトン(ロバート・E・リー将軍の参謀)はラウドン郡出身である。第二次世界大戦の将軍ジョージ・マーシャルは、リーズバーグのドドナ荘園に住んだ。随筆家でジャーナリストのラッセル・ベイカーはモリソンビルで育ち、その著書『Growing Up』はバージニア田園部の子供時代が中心である。エンターテイナーのアーサー・ゴッドフリーは歴史あるウォーターフォード近くに住んだ。南軍の将軍ストーンウォール・ジャクソンの母、ジュリア・ニール・ジャクソンが郡内で生まれた[4]。またライト兄弟の母、スーザン・キャサリン・カーナーも郡内の生まれである。ジョージ・メイソン大学公的政策研究所の卒業生で所長候補となったトム・ブランカは郡の出身である [5]
政府と政治

大統領選挙の結果年共和党民主党
2012年47.04% 75,29251.53% 82,479
2008年45.41% 63,33653.66% 74,845
2004年55.69% 60,38243.60% 47,271
2000年56.12% 42,45340.89% 30,938
1996年52.13% 25,71540.43% 19,942
1992年46.40% 19,29034.79% 14,462
1988年66.26% 20,44832.73% 10,101
1984年67.99% 17,76531.49% 8,227
1980年58.93% 12,07632.67% 6,694
1976年51.79% 9,19245.05% 7,995
1972年69.46% 9,41729.07% 3,941
1968年45.91% 4,57732.72% 3,262
1964年37.72% 2,59462.21% 4,278
1960年50.99% 2,52648.43% 2,399

ラウドン郡は昔から北バージニアでも共和党寄りの郡の1つである。1964年のリンドン・B・ジョンソンを支持した時以降、2008年まで民主党候補が郡を制したことは無かった。しかし、近年はワシントンD.C.に近いために通勤者が集まったことで、郡東部が急速に成長してきた。このことで以前より激戦の様相になってきた。それにも拘わらず、2008年の大統領選挙でバラク・オバマ上院議員が郡の54%を獲得した後、2009年には共和党支持に戻ってきた。州知事選挙では共和党候補のロバート・F・マクドネルが61%を獲得した。有権者は郡選出の州下院議員に現職2人の民主党員を排除し、共和党員に独占させた。2012年の大統領選挙は民主党のオバマに51.5%の支持を与えて再度郡を制させた。共和党のミット・ロムニーは47%の支持に留まった[6]

バージニア州の多くの郡と同様、ラウドン郡は郡政委員会が統治している。委員会の議長は郡全体を選挙区に選ばれ、他の委員は8つの小選挙区から1人ずつが選ばれている。9人の委員の任期は同時期に4年間である。委員会は政策を立案し、予算を設定するが、日々の政府運営は、委員会が指名する郡管理官が行う。2003年、ロイヤル・サウディ・アカデミーを巻き込んだ土地の処理問題で委員会は汚職を問われ、連邦政府の捜査が入った[7]

2007年11月、郡東部の急速な発展を反映して郡政委員会の財政的に保守である共和党員現職4人が外された。委員の構成は民主党員5人、共和党員2人、独立系2人となった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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