ドイツ国の政治家ラインハルト・ハイドリヒReinhard Heydrich
ハイドリヒの肖像写真 (1940年)
生年月日1904年3月7日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国
ザクセン州
ラインハルト・ハイドリヒ
Reinhard Heydrich
海軍入隊時のハイドリヒ (1922年)
渾名金髪の野獣 (Die blonde Bestie)
所属組織 ヴァイマル共和国海軍
親衛隊
保安警察
ドイツ空軍
軍歴1922年 - 1931年
1931年 - 1942年
1939年 - 1941年
最終階級
警察大将
空軍少佐
除隊後政治家
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ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ(ドイツ語: Reinhard Tristan Eugen Heydrich, 1904年3月7日 - 1942年6月4日)は、ナチス・ドイツの高官[4]。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の組織・親衛隊(SS)においてゲシュタポ長官および親衛隊諜報部(SD)長官を務めた他、ドイツ海軍・空軍軍人でもあった。親衛隊での最終階級は親衛隊大将(SS-Obergruppenfuhrer)および警察大将(General der Polizei)。軍人としての最終階級は空軍少佐、海軍中尉。
国家保安本部(RSHA)の事実上の初代長官[注 2]。ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となった。ユダヤ人問題の最終的解決計画の実質的な推進者であった。その冷酷さから親衛隊の部下たちから「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と渾名された[6]。戦時中にはベーメン・メーレン保護領(チェコ)の統治にあたっていたが、連合国が秘密裏に送り込んだチェコ人およびスロバキア人部隊により暗殺された(エンスラポイド作戦)。 ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒは、1904年3月7日午前10時30分頃、ドイツ帝国の領邦プロイセン王国ザクセン州
経歴
前半生
父は音楽家リヒャルト・ブルーノ・ハイドリヒ(ドイツ語版)。母はザクセン王国のドレスデンの宮廷で宮廷顧問官をしていた音楽研究者ゲオルク・オイゲン・クランツ教授(Georg Eugen Krantz)の娘、エリーザベト・マリア・アンナ・アマリア・クランツ(Elisabeth Maria Anna Amalia Kranz)[8]。