ライプツィヒ大学
[Wikipedia|▼Menu]

ライプツィヒ大学Universitat Leipzig

モットーAus Tradition Grenzen uberschreiten
モットー (英語)Crossing Boundaries out of Tradition
種別公立
設立年1409年12月2日
学長de:Beate Schucking
所在地 ドイツ
ライプツィヒ
キャンパス市街地
公式サイトhttps://www.zv.uni-leipzig.de/
テンプレートを表示
大学中央図書館

ライプツィヒ大学(ドイツ語: Universitat Leipzig)は、ドイツザクセン州ライプツィヒにある大学。東ドイツ(ドイツ民主共和国)時代はカール・マルクス大学と呼ばれていた。
概要

神学者ヤン・フスらによるチェコ人優遇策に抗議してプラハ大学を一斉に去ったドイツ人教員や学生を受け入れるためにマイセン辺境伯フリードリヒ4世1409年に創立[1]。フリードリヒはフス派と結んだボヘミア国王ヴェンツェルに個人的な反感を抱いていたこともあり大学創立の決意を固めたようである。大学設立のために彼は ピサ教皇アレクサンドル5世から特許状を得た[2]。ドイツではハイデルベルク大学1386年に創立)に次ぐ歴史と伝統を持つ。

かつてこの大学で教鞭を執ったことがある著名人として、ライプニッツ歴史家モムゼン化学者オストヴァルト物理学者ハイゼンベルクヘルツ実験心理学を確立した心理学者ヴントクラインの壺で有名な数学者クラインメビウスの帯で有名な数学者メビウスなど。

また、ライプツィヒ大学で学んだ著名人としては、哲学者作家ゲーテならびにニーチェ作曲家シューマンならびに歴史家のランケ劇作家レッシング、ロシアの作家ミハイル・プリーシヴィン言語学者ソシュール社会学者デュルケーム探検家スタインなどが挙げられる。元ドイツ首相のアンゲラ・メルケルもここで物理学を専攻している。

また、ライプツィヒ大学で最も名高い学部は医学部だといわれており、エルヴィン・フォン・ベルツをはじめ、日本人では萩原三圭三浦守治森?外もここに留学して、ドイツ医学を学んだ。他にこの大学に留学した日本人として「味の素」を発明した化学者池田菊苗(オストヴァルトに師事)、ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎(ハイゼンベルクに師事)などがいる。
組織

ライプツィヒ大学学長室(Rektorat)の議長は学長である。学長会には、1人のレクター(rector)と3人のキャンセラー(Kanzler)も含まれる。レクターとキャンセラーは教育・研究、研究・若手研究者の支援、組織の発展を担当していた。

ベアテ・シュッキングの新レクター就任後、職務が再分配された。現在では、教育・国際担当、研究・若手育成担当、開発・移転担当の3人のプロクターがいる[3]
学部(Fakultaten)化学・鉱物学部、ヨハニサレー29番地(2005年撮影)リービッヒ通りの解剖学講義室、1953年建設(2007年撮影)

以下の学部を置く[4]
Theologische Fakultat 神学部(福音主義神学)

Juristenfakultat 法学部

Fakultat fur Geschichte, Kunst- und Orientwissenschaften 歴史・芸術・東洋学部

Philologische Fakultat 文献学部


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef