ライブドア事件
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ライブドア事件(ライブドアじけん)とは、ライブドアの2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれるなど証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、法人としてのライブドアとライブドアマーケティングおよび同社の当時の取締役らが起訴された事件である。

事件の特徴として、従来の粉飾決算事件は企業が経営破綻してから捜査されたのに対し、ライブドア事件は破綻していない会社が捜査された点が挙げられる[1]。またライブドア事件で問題とされた約50億円という額は金額だけをみると過去の粉飾事件と比べて少ない方であったが[2][3]、判決において成長仮装型と評される通り、前年比で見ると経常利益が-120%で赤字転落のところを+300%の大幅黒字増としており、過去の粉飾事件と比較しても大きな粉飾となる。また一方で、同時期に約1,600億円の資本調達[4]および代表取締役社長が約145億円の持株売却をおこなっており、金額が高額でなくとも犯罪性は大きいと判決で言われた。また、違法の疑いのある手段で発行した自己株式を使い一般株主から集めた資金が粉飾決算の原資だというのも特徴とされている[5]

裁判は、堀江貴文に懲役2年6か月、宮内亮治に懲役1年2か月、岡本文人に懲役1年6か月執行猶予3年、熊谷史人に懲役1年執行猶予3年、中村長也に懲役1年6か月執行猶予3年、公認会計士2人に懲役1年執行猶予4年、ライブドアに罰金2億8千万円、ライブドアマーケティングに罰金4,000万円と計7人と2法人に対して有罪が確定している。
経緯
2005年

ニッポン放送買収問題が決着した4月ごろ、東京地検特捜部にはライブドアに関する情報が企業関係者や一部マスコミからもたらされるようになった。ライブドアに恨みを持つ方面からのものもあったとみられているが、その相対的総量はそうでない方面からのそれには及ばないものであった[6]

秋頃になるとライブドア社内には不穏な空気が流れていて、一部の幹部が好ましからざる人物と頻繁に電子メールをやり取りしていたり、不本意な退職を迫られた幹部のなかには捜査本部に内情をばらすと告発を考える者がいたりしたという[7]

東京新聞』の司法記者クラブ詰めの記者は11月に、防衛施設庁談合事件の取材をしている時に東京地検特捜部がライブドアを捜査しているという情報を攫んだという。『東京新聞』の記者はライブドアや代表取締役社長の堀江貴文への取材は捜査を妨害することから、強制捜査の動きを見極めるまで一切せず、取りあえずライブドアに関する資料を集めることにしたという[8]

ジャーナリストの須田慎一郎は秋ごろに特捜部がライブドアに重大な関心を寄せているという情報を攫んでいたが、どのような要件で内偵を進めていたのかまではわからなかったという[9]。実はそのころには元役員などライブドア関係者に対する事情聴取が始まっており、暮までには堀江の知るところとなっていたとされる[10]

堀江は秋ごろにソニー買収計画を進めていたが、特捜部もライブドアに対する本格的な捜査を始めていた。証券取引等監視委員会に出向していた検事の斎藤隆博が特捜部に戻ると、斎藤の下に数人の専従チームができていた(特殊直告2班[11][12]。斎藤は株に関する捜査が得意で[13]、証券取引等監視委員会では検察出向者の指定席と化していたポストである特別調査管理官を務めていたという[12]

東京地検特捜部は、12月6日に、マネーライフ買収計画を知る立場にいたライブドアマーケティング(旧バリュークリックジャパン)の代表取締役CFOだったKに電話で接触することに成功した。Kはバリュークリック買収後も代表取締役に就いていたが、ライブドアの社風に馴染めず、特捜部から電話を受ける1年前に退任していたという[14]。Kは、強制捜査前は週2回、強制捜査後はほぼ連日のペースで、合計にして30-40回の取り調べを受けたという。Kの供述は特捜部の事件のシナリオ(スジ読み)を決定するのに重要な役割を果たした[15]

12月上旬には元執行役員が堀江に「東京地検特捜部から事情聴取を受けた」と連絡を入れていて、堀江は即座に熊谷史人宮内亮治に「一体なんのことだろう」と尋ねていた[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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