ライフ・ライン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、テレビ番組について説明しています。都市機能や日常生活を維持するための諸設備については「ライフライン」をご覧ください。

『ライフ・ライン』は、1980年より、タイトルなどを変えながら日本各地の民放テレビ局で放映している宗教番組プロテスタント伝道番組)。現タイトルは1986年より放送。1989年以降は太平洋放送協会の制作。ラジオ番組世の光』のテレビ番組版に当たる。

番組コンセプトは「あなたの心に安らぎと希望を」。
前史:太平洋放送協会でのテレビ伝道
テレビ版「世の光」 (15分番組)

1952年にスタートしたラジオ版『世の光』が放送8年目を迎えた1960年10月、テレビ版『世の光』が信越放送にて放送開始された。13週間にわたって羽鳥明牧師らが信越放送のテレビスタジオから生放送でキリストの福音を伝えた。それから4年4か月後の1964年4月、テレビ版『世の光』が再び製作放送され、信越放送を含む全国8局ネットで放送された。半年後の10月には東京12チャンネル(現在のテレビ東京)でも放送を開始、さらに1年後の1965年11月には日本海テレビ北海道放送でも放送を開始した。同年12月24日(または25日)には『世の光』とは全く別の特別番組『メリー・クリスマス』が東京12チャンネル、北海道放送、福島テレビ、信越放送、日本海テレビの5局ネットで放送された。
「生きる」「見えますか、愛」

1979年1月、テレビ伝道番組『生きる』を同年3月まで東京12チャンネルにて放送した。テレビ版「世の光」以来、13年ぶりのテレビ伝道番組である。1984年4月には『見えますか、愛』がテレビ東京にて放送開始された。1985年1月には沖縄テレビ、1986年1月からはテレビ大阪もネット局として加わり、3局ネットで3月まで放送された。同年4月にはその続編と言うべき『見えますか、愛U』がサンテレビにて放送された。
沿革.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ライフ・ライン" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2010年5月)

『PTLクラブ・主をほめよ』の開始

1980年10月に開始した『PTLクラブ・主をほめよ』(The PTL Club "Praise the Lord" アメリカのテレビ番組)の日本版に端を発する。アメリカノースカロライナ州で同名の団体を率いていたジム・ベイカー(またはジム・バカー、Jim Bakker)、タミー・フェイ(Tammy Faye)夫妻のテレビ伝道のダイジェストを、日本語吹き替え、説教の前後に日本でスタジオ収録(主にテレビ埼玉のスタジオで収録)した素材を挿入したもので、馬橋キリスト教会ペンテコステ派単立)主任牧師の新井宏二と、 ⇒町田クリスチャンセンター の初代牧師だった中川健一[1] が司会を務めた。

1984年4月、諸般の事情から新井が降板して中川がメイン司会者に昇格し、元ファッションモデルのヨアンナ・ディック(現姓:スィラヴァン)をアシスタントに起用したものの、1985年には乱脈経営からPTLクラブ本部の財政難が深刻化したため、受入先の日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団本部内に置かれていた『PTLクラブジャパン』への資金供与が途絶。これにより教団で内紛が勃発し、同年末を以って中川が離脱、降板した(翌年以降は、主幹として立ち上げた新団体ハーベスト・タイム・ミニストリーズが、親イスラエルを掲げる別番組『ハーベスト・タイム』の制作配給に着手する)。
『ライフ・ライン』へのタイトル変更

1986年1月以降、中川が出演しなくなった『PTLクラブ・主をほめよ』は、スティーブ・フォックス(元ゴダイゴ)とヨアンナの司会になったが、1987年4月にはネット局が半減。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef