ライノ
プロフィール
リングネームライノ
ライノ・リチャーズ
テリー・リチャーズ
本名テレンス・グイドー・ゲリン
ニックネームマン・ビースト
ウォー・マシーン
身長178cm
体重125kg
誕生日 (1975-10-07) 1975年10月7日(48歳)
出身地 アメリカ合衆国
ミシガン州デトロイト
所属インパクト・レスリング
トレーナースコット・ダモール
ダグ・チェバリアー
ミッキー・ドイル
デビュー1994年
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ライノ(Rhyno、またはRhino、1975年10月7日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。
本名、テレンス・グイドー・ゲリン(Terrance Guido Gerin)。ミシガン州デトロイト出身[1]。 1994年、テリー・リチャーズ(Terry Richards)のリングネームでデビューし、地元であるミシガン州のMWCW(Mid-West Championship Wrestling)、オハイオ州のCAPW(Cleveland All-Pro Wrestling)やカナダのBCW(Border City Wrestling)、IWA(International Wrestling Alliance)など各地のインディー団体を転戦[2]。カナダのインディー団体ではクリスチャン・ケイジやセクストン・ハードキャッスルといったレスラー達とユニットを結成して活動。1995年にはWCWやWWFの二大メジャー団体にスポット参戦している。 1997年、オットー・ワンツが主宰していたドイツ・オーストリアの団体であるCWAに、ライノ・リチャーズ(Rhino Richards)のリングネームで参戦。ジャン=ピエール・ラフィットやジョー・レジェンドと組んでCWA世界タッグ王座を獲得し[3]、トニー・セント・クレアーや西村修とも対戦した[2]。 1999年1月、ECWと契約を交わし入団してリングネームをライノ(Rhino)へと変更。2月19日にデビューし、ノヴァと組んでFBI(リトル・グイドー & トレイシー・スマザーズ)と対戦して勝利する。6月17日にはECW世界ヘビー級王座を保持するタズに挑戦。8月、サイラス・ザ・ヴァイラス率いるザ・ネットワーク(The Network)の一員となり[4]、ヒールへと転向。スティーブ・コリノ、ジャック・ビクトリーとタッグを組んでECW世界タッグ王座を保持するトミー・ドリーマー&レイヴェンに幾度となく挑戦し、9月19日のAnarchy Rulz 1999にて決着戦を行うもベルトを奪取するに至らなかった。ドリーマー&レイヴェンとの抗争後、クリス・キャンディードとタッグを組みECW世界タッグ王座戦線へ乗り込み、シングルではECW世界ヘビー級王座を保持するマイク・オーサム、ECW世界TV王座を保持するロブ・ヴァン・ダムに挑戦するなどトップレスラーの一員として成長。 2000年2月、ロブ・ヴァン・ダムの故障により空位となったECW世界TV王座を賭けて2月19日のECW on TNNにてサンドマンと対戦するが反則攻撃の応酬に事態が収拾できずにノーコンテストとなる。3月にはECW世界TV王座争奪トーナメントに出場。決勝まで進出してスペル・クレイジーと対戦するも敗戦し、優勝する事ができなかった。4月22日にはECW世界TV王座を保持するTAJIRIと対戦して勝利しベルトを奪取した。8月26日にはキッド・キャッシュと対戦してベルトを奪取されるが9月9日に再戦して王座に返り咲いた。 2001年1月7日、Guilty as Charged 2001にてECW世界ヘビー級王座を保持するサンドマンに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。ECW存続時におけるECW世界ヘビー級王座、ECW世界TV王座の両王座を保持した最後のチャンピオンとなった[5]。 2001年1月、ECW崩壊後はWWFへと移籍。リングネームのスペルを変更したライノ(Rhyno)名義にする。カナダのインディー団体で共闘したエッジ&クリスチャンと共に活動を開始。4月1日、WWF年間最大のイベントであるWrestleMania X-Sevenにおいて、ハーディー・ボーイズとダッドリー・ボーイズを相手にWWF世界タッグ王座を賭けたTLCマッチを行い、エッジ&クリスチャンの勝利を援護した。
来歴
キャリア初期
ECW
WWF / WWE
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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