ライオンブックス
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ライオンブックス(LION BOOKS)は、手塚治虫により集英社から発表された一連の短編作品群(オムニバス)を言う。1956年から1957年にかけ、集英社の月刊『おもしろブック』の付録冊子として発行されたものと[1]、1971年から1973年にかけて同じ集英社の『週刊少年ジャンプ』に掲載されたものの2種類が存在している。
目次

1 概要

2 各作品詳細

2.1 おもしろブック版

2.1.1 来るべき人類

2.1.2 くろい宇宙線

2.1.3 宇宙空港

2.1.4 緑の猫

2.1.5 恐怖山脈

2.1.6 双生児殺人事件

2.1.7 狂った国境

2.1.8 複眼魔人

2.1.9 白骨船長

2.1.10 荒野の弾痕


2.2 少年ジャンプ版

2.2.1 安達が原

2.2.2 白縫

2.2.3 ブタのヘソのセレナーデ

2.2.4 あかずの教室

2.2.5 百物語

2.2.6 モモンガのムサ

2.2.7 コラープス

2.2.8 月と狼たち

2.2.9 おふくろの河

2.2.10 マンションOBA(春らんまんの花の色・耳鴉・でんでこでん)

2.2.11 荒野の七ひき

2.2.12 泥だらけの行進

2.2.13 ミューズとドン

2.2.14 成功のあまきかおり

2.2.15 はるかなる星

2.2.16 奇動館



3 単行本

4 アニメ化作品

4.1 各作品詳細


5 参考文献

6 脚注

7 関連項目

概要

ライオンブックスの第1弾は1956年、集英社の漫画編集者である長野規の企画でスタートした[2]。当時としてはかなり先進的なSF要素を取り入れた意欲作であるが、まだSFという用語すら定着していなかったことと、『鉄腕アトム』のように科学技術の明るい側面だけを描くのではなく、それによってもたらされる負の側面や人類への警鐘などを含めた高尚な内容であったために[2][3]、あまり人気が出ず途中からSF色の薄い作品も描かれるようになり、最終的には全12話で打ち切りとなった。しかしながら、のちのSFに与えた影響は大きく、多くのSF作家がライオンブックスから影響を受けたことを公言している[3]

1971年に、長野からライオンブックス再開の提案があり[2]、月1回のペースで『週刊少年ジャンプ』に掲載された[2]。「安達が原」のような優れたSF作品がある一方で、「ブタのヘソのセレナーデ」に代表されるようなナンセンス・ギャグ的な作品も含まれており、全体に統一性を欠いている。連載当時、手塚は経営の傾いた虫プロの対処に追われており、漫画に集中して取り組むことができなかったのではないかと、二階堂黎人は指摘している[3]
各作品詳細
おもしろブック版
来るべき人類

『おもしろブック』1956年8月号付録

19XX年、○○国は日本アルプス上空で新型兵器42・GAMIの実験を行った。その結果、世界中に放射性物質がばらまかれ、放射線による白血球の減少のため、地球にいる人類は廃人同様となってしまった。5年後、地球人のなかで唯一難を逃れた日本の金星探検隊が地球に帰還したが、隊長の草津(演:
ウイスキー)は地球の惨状を見て、地球を見捨て金星への移住を決意する。


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