ライオンのいただきます
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ライオンのいただきます
「いただきます」の番組生放送が行われた
新宿スタジオアルタ
ジャンルバラエティ番組
演出佐藤義和小畑芳和三宅恵介
出演者小堺一機ほか
製作
プロデューサー横澤彪(前期)、三宅恵介(中期)、山縣慎司(後期)
制作フジテレビ

放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本

ライオンのいただきます
放送期間1984年10月1日 - 1989年9月29日
放送時間平日 13:00 - 13:30
放送分30分

ライオンのいただきますII
放送期間1989年10月2日 - 1990年12月28日
放送時間平日 13:00 - 13:30
放送分30分
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『ライオンのいただきます』は、1984年10月1日から1990年12月28日まで、フジテレビ系列局ほかで平日の13:00 - 13:30(JST)に生放送されたトークショーを交えたバラエティ番組である。ライオンの一社提供。

元々この枠は『ライオン奥様劇場』→『ライオン午後のサスペンス』→『ライオン劇場』とライオン一社提供によるテレビドラマ(いわゆる“昼ドラ”)が放送されていたが、1964年10月以来20年間続いたドラマ枠からバラエティ番組に路線変更した。

続編番組『ライオンのいただきますII』についても本項で述べる。
概要

番組は毎回、多彩な分野で活躍する「おばさま」たち(下記参照)をゲストに招き、「おばさま」が答えるお悩み相談(後述)や、視聴者のはがきを交えたトークなどを軸とした[1]。本音をも辞さない「おばさま方」のトークと、開始当時まだ20代だった小堺一機の司会者としての奮闘ぶりが見ものとなっていた。また「おばさま」として、数々の往年の女優たちや歌手たち(下記参照)の本格的バラエティ番組レギュラー出演が話題になり、彼女たちは若者層にも知名度を広げていった[注 1]

開始当初、ゲストとして登場する「おばさま方」は1回につき『オバサンA』『オバサンB』の原則2名だったが、番組の人気が高まるにつれ、1回につき3 - 4名程度になった。後にゲスト紹介後に小堺から「今日のオバサン3人合わせて●●歳!」というように、毎回「おばさま方」の合計年齢を発表していた。初回のゲストは中山あい子浦辺粂子

視聴者から寄せられたお悩みをドラマ仕立てで再現し、人生経験豊富なゲストの“おばさまのご意見”を伺うメインコーナー「いただきます劇場」には、ヒロシ & チーボー(=伊沢弘重田千穂子)・松金よね子らが出演。このコーナーから「エロガッパ」と言う流行語も生まれた(重田の「うちの主人ときたら…エロガッパなんです!!」の台詞の後に、エロガッパに扮した伊沢が甲高い声で「エロエロエロエロエロエロエロッ!!」と言いながら登場するのがお決まりだった)。

東京・新宿のスタジオアルタにおいて公開生放送を行っていた。前の時間帯(12:00 - 13:00)に放送していた『森田一義アワー 笑っていいとも!』の観客を入れたまま、同じスタジオを続けて利用(観覧募集は『いいとも!』と一括で行っていた)。[注 2][注 3]。1986年5月12日には『いいとも!』と合同で愛媛県松山市愛媛県民文化会館から90分全編生放送を行った。1987年7月31日には『コミュニケーションカーニバル 夢工場'87』の東京会場だった東京国際見本市会場でも合同での公開生放送が行われている。

金曜日には、『笑っていいとも!』の曜日レギュラーであり、小堺とも親交が深い明石家さんまが、『いいとも!』終了後の流れでほぼ毎週オープニングトークに出演し、小堺と漫才チックなトーク(特にコーナー名は無かったが、小堺は「ミニ演芸コーナー」と呼んでいた。)を繰り広げた。これは最初からコーナーとして設定したわけではなく、番組初期に流れでさんまが本番組のオープニングに顔を出したのが、そのまま恒例化したものである。なお、当初は特に時間制限はなかったが、トークが白熱し過ぎて本編の開始が遅れたこともあったため、後に5分程度を目処とした時間制限が設けられた。これ以降は時間切れを知らせるチャイムが鳴ると、即座にさんまが退場するようになった。番組開始から1年後の1985年10月には、小堺と「コサキン」として共演することが多く、さんまとも親交の深い関根勤が『いいとも!』の金曜レギュラーに加入したため、さんまとコサキンの3人でオープニングトークを行っていた[2]が、1987年10月から関根が嵐山光三郎に代わる編集長として『増刊号』に出演するため、一旦金曜レギュラーから離れたため、その後は『U』終了まで小堺とさんまの2人だけに戻る。タモリが後ろから顔を出して見ていたり、逆に小堺が『いいとも!』放送中にスタジオへ乱入することもしばしばあった。また、『いいとも!』に来たゲストが飛び入りで登場する事もあった。

番組冒頭の曲は菊池ひみこ「Hollywood Illusion」が使用された[注 4]。なお、同局系の『クイズ・ドレミファドン!』に小堺がゲスト出演した放送回で、この曲がイントロクイズで出題されたが、解答者が「いただきます」と答えて正解となった[注 5]。CM明けの音楽は、小堺も出演していた「今夜もイッキに大回転!!」(テレビ東京)でも、スポンサークレジットBGMとして当番組より長く流れていた。

開始当時はなかなか人気が上がらず、小堺は番組開始時のプロデューサーであった横澤彪からも、本番開始の数秒前に「この番組、いつになったら面白くなるんですか?」とプレッシャーをかけられていた[3]が、萩本欽一に言われた「お前にピンの仕事は来ない。お前1人で全部喋っちゃうから」という言葉を思い出し、3割喋って7割聞いていれば楽しい事に気付き、それを番組に取り入れたという[4]

フジテレビのディレクターだった佐藤義和が後年インタビューで語っていた中で、番組立ち上げ時、テレビ朝日を退社しフリーになったばかりの古舘伊知郎に『いただきます』の司会を打診したものの、「平日帯の生放送、しかも『いいとも!』の後枠では怖い」と断られたと語っている[5](結果的に古舘は、『いただきます』開始と同時期に『いいとも!』の木曜レギュラーとなった。)。

正月には時間を拡大して「新春いただきますスペシャル」が放送されたこともあった。

1989年1月7日の昭和天皇崩御からしばらくの間はライオンがCMを一時期自粛したこともあり、番組CM前のアタック音も一時的に穏和なものへ切り替えられ、オープニングキャッチも自粛された。


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