ライオネル・リッチー
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ライオネル・リッチー" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2009年11月)
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

アルバムについては「ライオネル・リッチー (アルバム)」をご覧ください。

ライオネル・リッチー
ケネディ・センター名誉賞にて(2017年)
基本情報
出生名Lionel Brockman Richie
生誕 (1949-06-20) 1949年6月20日(74歳)
アメリカ合衆国,アラバマ州タスキーギ
ジャンルクワイエット・ストーム
アダルト・コンテンポラリー
ポップ
AOR
職業シンガーソングライター
ミュージシャン
作詞家
作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
俳優
担当楽器ヴォーカル
ピアノ
キーボード
サックス
活動期間1967年 - 現在
レーベルIslandMCAMotown
公式サイトlionelrichie.com

ライオネル・ブロックマン・リッチー・ジュニア(英語: Lionel Brockman Richie, Jr.、1949年6月20日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター作詞家作曲家編曲家音楽プロデューサーである。ポップスを歌うアフリカ系アメリカ人歌手である。全世界アルバムトータルセールスは、1億枚以上を誇る[1]
人物

1974年に、コモドアーズのメンバーとしてデビュー。1982年からはソロ活動を行うようになり、1983年にリリースされたアルバム『オール・ナイト・ロング(Can't Slow Down)』は、全世界でトータルセールス2000万枚を超えた。そんな彼のダイアナ・ロスとの代表的デュエット曲「エンドレス・ラブ」は、日本では21世紀に入ってからもラジオでオンエアされた。

プライベートでは、1975年に大学で知り合ったブレンダ(Brenda Harvey)と結婚しており、彼女と共に、1983年にニコール・リッチーを養子に迎え入れている。しかし1993年に離婚し、25億円の慰謝料を支払ったと言われている[2]
来歴
コモドアーズ時代

アラバマ州タスキーギ出身。1967年、タスキーギ大学(英語版)在学中にコモドアーズを結成。同大学卒業後、オーバーン大学大学院に学んだが、1971年7月よりジャクソン5オープニングアクトを務め[3]、その後モータウンと契約。ライオネルは、サックスを担当していた。

コモドアーズは、1974年にアルバム『マシン・ガン』でデビューする。ファーストは全曲ダンス・ナンバーという魅力的なファンク・バンドだった。日本の音楽祭のため来日したこともある。しかしセカンド以降ファンク曲は極端に減ってしまい、「ブリックハウス」などわずかな曲数になった。バンドはライオネルの白いヴォーカルを強調したバラード曲「イージー」などのヒットを出し、AOR路線を押し進めるようになった。

ライオネルは、作曲家として他のアーティストに曲を提供した。ケニー・ロジャースの「レイディ」は、1980年に全米1位の大ヒットとなる。翌1981年には、ダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」も、全米1位の大ヒットを記録した。
ソロ活動

1982年、ライオネルはコモドアーズを脱退し、初のソロ・アルバム『ライオネル・リッチー』を発表。同年に「トゥルーリー」が全米1位の大ヒットとなり、この曲でグラミー賞最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した[4]。翌1983年に発表したアルバム『オール・ナイト・ロング(Can't Slow Down)』はグラミー賞最優秀アルバム賞と最優秀プロデューサー賞を獲得し、同アルバムからのシングルのうち「オール・ナイト・ロング」と「ハロー (心の扉)」は全米ナンバーワン・ヒットとなった。USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

1985年にはマイケル・ジャクソンとの共作で、USAフォー・アフリカのチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」を作曲し、2000万枚を売り上げた[5]。同年には映画『ホワイトナイツ/白夜』の主題歌「セイ・ユー、セイ・ミー」で自身5曲目の全米1位を獲得し、この曲はアカデミー歌曲賞ゴールデングローブ賞 主題歌賞を受賞した[6]。しかし、1986年発表のアルバム『セイ・ユー、セイ・ミー(Dancing on the Ceiling)』を最後に、ライオネルはしばらく表舞台から退いた。

1996年に、10年ぶりとなる復帰作を発表し、その後もアルバムを発表しているが、再びシングル・ヒットを出すことはできなかった。養子の娘ニコール・リッチーは、テレビパーソナリティとして”セレブ”となっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:99 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef