ヨーロッパ為替相場メカニズム
[Wikipedia|▼Menu]
  ユーロ圏   ERM II対象国   上記以外の欧州連合加盟国   ユーロが使用されている非加盟国・地域

欧州為替相場メカニズム(おうしゅうかわせそうばメカニズム、英語表記:European Exchange Rate Mechanism, 略:ERM)は、ヨーロッパにおける為替相場の変動を抑制し、通貨の安定性を確保することを目的とした制度である。欧州委員会は1979年3月、欧州通貨制度の一環として欧州為替相場メカニズムを取り入れ、欧州連合における経済通貨同盟や1999年1月1日の単一通貨ユーロの導入に備えた。

欧州為替相場メカニズムは批判を込めてEternal Recession Mechanism(永遠に不況が続くメカニズム)と言われることもある[1]
目次

1 目的と実施

1.1 ドイツの狙い


2 アイルランド・ポンドの参加

3 ポンド・スターリングの脱退

4 変動幅の拡大

5 ユーロ移行とERM II

6 ERM II 対象通貨の状況

7 為替変動幅

8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

目的と実施

欧州為替相場メカニズムは為替相場変動幅の固定という概念に基づいているが、定められた変動幅において為替は値動きする。ユーロ導入以前は、為替相場は欧州通貨単位によるものであり、欧州通貨単位における為替価値は対象通貨の加重平均として決定されていた。

2通貨間のグリッドは欧州通貨単位で表されるセントラル・レートに基づいて算定され(パリティ・グリッド)、2通貨間の変動は±2.25%の範囲内に抑えられており(ただし通貨の一方がイタリア・リラである場合は±6%の範囲まで認められていた)、また市場介入やローン・アレンジメントによって対象通貨の変動幅以上の値動きが回避されていた。
ドイツの狙い

もともとERMはドイツマルクの増価を防ぎドイツの競争力を維持し他国の競争力を落とすことを目的につくられたものだった。1970年代後半、デニス・ヒーリーが英国の財務大臣だった時期にヒーリーはERMは罠であると悟った[2]。そして労働党政権は英国のERM加入を見送った。

その後政権交代がおこりマーガレット・サッチャー保守党政権が誕生する。そのサッチャーの政策の一つがERM加入反対だった[2]。サッチャーの側近らが英国をERMに加入させたがっていたが、サッチャーは頑なに反対していた[3]。結局は側近らに押される形でサッチャーは1990年にERM加入を認めるが、その2年後に英国はERMから離脱することになる。
アイルランド・ポンドの参加

1979年、アイルランドが欧州為替相場メカニズムに参加したことにより、アイルランド・ポンドポンド・スターリングとの等価性を失った。欧州為替相場メカニズムの開始直後に、欧州為替相場メカニズム対象通貨でないポンド・スターリングは全欧州為替相場メカニズム通貨に対して上昇し、アイルランド・ポンドとパリティを続けていたならば、アイルランド・ポンドは変動制限幅を超えた値動きをしていたと考えられる。
ポンド・スターリングの脱退

1990年イギリスは欧州為替相場メカニズムに参加したが、1992年には退場を余儀なくされた。これはポンド・スターリングがジョージ・ソロスなどの通貨を対象とした投資家の巨大な圧力を受けたためで、このため1992年9月16日に発生したポンド危機は "Black Wednesday" (暗黒の水曜日)と呼ばれるようになる。イギリスはポンド危機の対処のために数度の政策転換を繰り返し、結果1992年以降の好景気をもたらすことになった。このことから一部からはポンド危機を "White Wednesday"(白い水曜日)と呼ばれることがある。またイギリスが1990年代初頭に不況に見舞われたことから、ERMを恒久的不況メカニズム (Eternal Recession Mechanism) と揶揄する者もいた。イギリスは為替相場の変動幅を押さえるために、金準備を含め60億ポンド以上を費やした。
変動幅の拡大

1993年、フランス・フランなどの通貨に対する投機に対応するため、変動制限幅を15%まで拡大した。
ユーロ移行とERM II

1998年12月31日、ユーロ圏諸国の欧州通貨単位との為替取引が終了し、欧州通貨単位と等価でユーロとの取引に移行した。

1999年、欧州為替相場メカニズムは ERM II に移行した。ギリシャ・ドラクマデンマーク・クローネが ERM II の対象となったが、その後ギリシャは2001年にユーロを導入し、デンマーク・クローネのみが唯一の対象通貨となった。ERM II 対象通貨はユーロを基準とするセントラル・レートに対して±15%の変動幅とされ、クローネの場合では、デンマーク国立銀行は1ユーロ=7.46038をセントラル・レートとして、またより幅の小さい±2.25%を変動制限幅とした。
ERM II 対象通貨の状況

2004年5月1日、欧州連合に新規加盟した国の10の中央銀行が ERM II 中央銀行協定を締結し、各国通貨は異なる相場で ERM II の対象となることが相互に承認された[4]

エストニア・クローン[5]リトアニア・リタス[6]スロベニア・トラル[7]は2004年6月28日に、キプロス・ポンド[8]ラトビア・ラッツ[9]マルタ・リラ[10]は2005年5月2日に、スロバキア・コルナ[11]は2005年11月28日にそれぞれERM IIの対象となった[12]。2004年5月1日にEUに加盟した規模の大きい3つの国の通貨(ポーランド・ズウォティチェコ・コルナハンガリー・フォリント)も将来的にはERM IIの対象となることが見込まれている。

ブルガリアは当初2007年にERM IIの対象となることが見込まれており、欧州委員会の決定とは関係なくERM II の規則に従っていたがいまだ実現していない。一方でルーマニアは2010年から2012年までの ERM II 入りを目指している[13]

ユーロを導入していない加盟国は、ユーロ圏入りの最低2年前までに ERM II に参加する(つまりERM II に参加してから2年以上経過することがユーロ導入の条件の一つである)ことが求められている。スロベニアは2007年にユーロを導入しているため、スロベニア・トラルは ERM II の対象から外れた。2008年1月1日にはマルタ・リラとキプロス・ポンド、2009年1月1日にはスロバキア・コルナもユーロに移行し、ERM II の対象から外れた。

スウェーデンは通貨切り替えに必要な収斂基準を満たすために ERM II 参加が予定されているが、1990年代初頭に深刻な通貨危機を経験したため、 ERM II 参加を渋っている。
為替変動幅


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef